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市長選が終わって感じた本音

今回の選挙を通じて、あくまで僕の周囲だけだけど、30代~40代前半は比較的冷めていたように感じる。それは、なぜだろうと考えたとき、やはり、政治家を選ぶのは『政策』か『人柄』か『縁と関係』かということになってくるのだろう。


僕らの世代が選挙権を持った2000年代初頭、『これからの選挙は政策で選ぶべきだ』という思想が如実に表れ始め、『人柄で選ぶ選挙』から『政策で選ぶ選挙』を目指し、『マニフェスト』という単語が2003年には流行語になった。今はすっかり死語になった感もあるけれど。


敢えて主語の大きい話をすると、私たちアラフォー世代は、選挙権を持ち、ちょうど社会に出るタイミングで、『マニフェストをもとにした政策論争で、しがらみに捕らわれない』ということが、クリーンであり、『正しい』選挙として、主権者教育を通じて教えられてきた。そして、『人柄』とか『縁と関係性』を基準に投票することは、『しがらみ』の象徴であり、旧態依然として、避けるべき『悪』だった。


『行政・選挙』という『パブリックで公的な場所』に、『個人的に好感を持っている』という『個人の感情・感想』や、『**候補は学校や組織の先輩』とか『***さんにお世話になった』という『個人の縁や関係性』という『プライベートでパーソナルな事情を判断基準に持ち込むこと』は、否定され打破されるべきものであった。そういった『私』を『公共の選挙』に持ち込むことは、まさに文字通り『公共を私物化する行為』という感覚を持って、育ってきた。


恐らく、この感覚はアラフォー世代に特有の物なのだろう。2009年の民主党政権の失敗など、マニフェスト選挙の行き詰まりや、『草食化』・『地元志向』と呼ばれる気質など、今の20代はむしろ、選挙でも『人柄』『目に見える関係性』を重視する方向に回帰しているようにも思う。そして、私たちより、少し上の世代だと、旧来型の『人柄』を訴え、『縁や関係性』で集票する選挙が選挙だとイメージが固まっているように感じる。


しかし、『選挙に、『人柄』とか『縁や関係性』という『私』を持ち込むことへの違和感』が、生理的に染みついている私たち世代にとって、『人柄』や『縁や関係』を強調されると、違和感、そして、それが度重なれば、『嫌悪感』にさえなる。


この嫌悪感、拒否感は、候補者の人柄が嫌いとか、候補者にプライベートでの縁や関係性について感謝してないとか、そういう話ではない。『プライベートの感情・出来事/関係を、パブリックの分野や空間に持ち込むこと』への罪悪感とも言える生理嫌悪だ。


だから、敢えて主語を大きくすれば、我々の世代には、『この候補者みたいな人こそリーダーに相応しい』という感情への説得、『この人は一生懸命やってるんだから』とかという『マニフェストに基づかない説得』は違和感になる。


ましてや、『***で先輩後輩』『***の団体に所属してる』→『だから応援すべきだろ』みたいな、個人の関係をパブリックに反映することは、一層の違和感だし、まして、それが『当然だろ』という強制性を浴びると、私の場合は、違和感を超えて嫌悪を感じる。1対1の関係を市政なら37万人、県政なら200万人、国政なら1億人に影響を与える『パブリック』に持ち込むべきではない、という意識が働くからだ。


これは、候補者への個人的な好感や恩義を無視しているわけではない。私自身、今回も候補者の何名か、また、支援者や支援する代議士、県議、市議の皆さんには、個人的にも大変お世話になっているし、深い関係を持つ方々もいて、個人として、敬意や感謝の気持ちは当然にある。


むしろ、人に対して感謝や敬意の気持ちを持つことは、人として一番大切なことだとさえ思う。


ただ、それは1対1のプライベートに起きることであって、それをパブリックに持ち込むことには違和感があるし、ましてや、強制性を持って巻き込まれることには、強い抵抗感を感じるのだ。


候補者との関係は、あくまで私と候補者との間の個人間の大切な物だ。候補者の周辺がそこにデリカシー無く「おまえは***と、どこそこで関係があるだろ、どこどこの組織だっただろ、派閥だっただろ、どこの校区だろ、縁があるだろ、だから入れるべきだろ」と土足で踏み込んでこられて、気持ちの良い話ではない。


もちろん、全くそういった物を考慮しないわけではない。だが、「まず、パブリックとして何をするか=公約・マニフェスト」の議論をすっ飛ばして、いきなり、「あの人は人柄が素晴らしいから」とか「***さんも***さんを応援しているから」とか、「***で関係性があるから」など『プライベートの領域」の議論を、いの一番でいわれても、違和感と戸惑いだけが残る。


『人柄をどう感じるか』という極めてプライベートな判断基準は、けっして、候補者の周辺からの又聞きで醸成されるほど、軽い話ではないからだ。


さらにいえば、自分の支援する候補でなく、自分の支援する候補のライバルについての、『人柄』についての批判なんて、誰が言う資格があるのか。相手の人柄について、言えるとしたら、候補者本人同士が互いに面と向かっていうときだけだ。そんなもの、候補者周辺などから、又聞きで、聞きたくないし、聞くべきものではないし、言うべきものでもない。さだまさしも、人の悪口は言うな聞くなと唄ってる。


大分話がずれたが、共感を元にした感情的連帯や、組織団体派閥などの関係性を持ったアプローチでコミュニティを形成していく手法は、私たちの世代、いや、少なくとも、私にとっては、『プライベートをパブリックに持ち込むこと』であり、違和感のある集票方法だった。


今回は、タイミング的にも第6次総合計画の作成途中であり、誰が勝つにしろ、今後2~30年ぐらいの豊橋の未来を決めかねない、そんな大切な年の選挙だったと思っている。だからこそ、過去に囚われず、徹底的に各候補者の公約と掲げる未来を検討した。

私自身もそうだった。そして、娘達も、大学そのもの、あるいは大学院は恐らく海外になるだろう。日本がダメと言うことでなく、海外を見せたいという親としての気持ちもある。そして、「家を継げ」とは言わないつもりだ。ただ、本人達が継ぎたいといってくれれば嬉しいし、仕事は楽しいものだと言うことは見せたい。

そのとき、『豊橋に帰って家を継ぎたい』と思ってくれるか。継ぎたいと思ってくれるだけの会社の魅力は、私が造らなければならない。だが、『拠点として住みたいと思ってくれるまち』は、市長に作ってもらわなければいけない。


よって、『豊橋が、20年後、自分の娘が戻ってきたいと思える、魅力的なまちに近いまちになりそうなのはどちらか』が、最終的に重んじる判断要素となった。


そして、そこで思ったのは、どの候補者も、本当に豊橋のことを考え、未来を考え、素晴らしい公約をつくってくださっていたということだ。結果としては浅井新市長の誕生となったが、佐原候補、鈴木候補の政策も目を見張るものがあり、浅井新市長の公約とも上手にリンクするような施策もある。


残念ながら落選となった2名の候補からも、個人的には、是非、取り入れて欲しい個別施策や概念もあり、これだけ多くの、豊橋を良い物にしようとするアイデアが3名の候補からあふれ出たことに、感謝と敬意を持ってやまない。

選挙は、外野がなんだかんだ言ったところで、勇を奮って立候補した人が、一番偉いのだと思う。


『東三河シリコンバレー構想』『健康都市豊橋』『デジタルトランスフォーメーション推進』『子育て給付金3万円』『エマージョン教育』『STEAM教育の推進』『出産金30万円』『ストリートデザインでの商業サービスの創出』『職場への保育所設置の支援』『吉田城復元の建設計画策定と推進』『コミュニティーバス利便性向上』『動物愛護センターの整備』『児童相談所設置』『給食費無償化』『農業食品産業のブランド構築』『自校給食の導入と避難所化』『男女問わず多様な働き方が選択できる環境作り』『首都圏など大都市圏からの移住促進』『のびるんDEスクール』『広域観光東三河DMOの設置』『移動販売車への助成』、、、、、


3人の候補者の皆さんが、豊橋のことを真剣に考え、産み出した多くのアイデアの結晶である政策、本当に素晴らしく、もちろん予算の限界、相互個別に組み合わせの悪い政策はあるものの、どの候補の当選にかかわらず、取り入れられる政策なら、ドンドンと取り入れて、豊橋をよりよいまちにしていって欲しい、そう思う政策集が、提示されていた。


また、議会も、『支持手内側の政策だから反対』とかでなくて、これらのアイデアを、より前向きに、よりブラッシュアップする方向で、各会派には切磋琢磨して、豊橋市の未来構想が、より良い形で実現、実行する原動力となる機関であって欲しい。


本当に、候補者のお三方には、立候補した勇気と合わせ、心からの感謝と敬意を表したいといます。本当に本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。皆さんの公約に対して、こちらも、一市民として、真剣、全力で向き合ったつもりです。

もっともっと、みんなで議論して、ブラッシュアップして、切磋琢磨していけば、この豊橋は、もっともっと良くなる、そう確信したし、選挙期間は、まさにその機会だったと思う。


そして、候補者の皆さんが政策を訴えられたいた。これだけ、思いのこもった政策を候補者が作ったのだから、支持をする人も、もっともっと、『人柄』とか『関係性』というプライベートなことでなくて、「豊橋のために、こういう政策を掲げているんだよ」とパブリックなことを伝えて欲しかった。


というか、伝えなよ。折角、候補者のみなさんが、こんないいものを死に物狂いで考えたんだよ。だったら、それを大切にしてあげなよ。「この候補者は、こういう豊橋を実現したいと考えて、こういうアイデアを持っている」と、もっともっと広めなよ。一生懸命考えた候補者と政策案が、かわいそうじゃんか。

もっと、政策論争、盛り上がろうよ。そう心から思ったし、自分なりに、そういう発信や発言もしてきた。だからこそ、浅井新市長の当選直後にも、その浅井新市長の構想が広まるためにも、公約を紹介する記事も書いた。


でも、そう、思う人が、選挙中や、選挙後の、SNSや、地元紙の報道などをみると、あまり、いなかったみたいで、少なくとも、自分は、疎外感というか、なんというか寂しい気持ちになった。


とにもかくにも、選挙戦を通じて、候補者の皆様の力で、豊橋を良くするための施策がたくさん出た、これが選挙の最大の成果だと思う。そして、これらが活かされ、少しでも豊橋が良いまちになることを、一市民として心から願いたいと思う。そして、次の選挙でも、同じように真剣に公約に向き合いたいと思う。

立候補されたお三方、選挙に関わった皆様、投票した市民の皆様、全ての方に、感謝を込めて。

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