伝統企業のデジタル化、最後のハードル

河野行革大臣の号令により、一気にハンコ廃止、そして行政のデジタル化も進んでいます。

とりわけ、これ以降は中小企業のデジタル化が日本全体の生産性を左右するといわれています。そして、なぜ、中小企業のデジタル化が進まないか、そこには、様々な理由があります。

理由の説明は、こちらの記事に譲ります

ただ、一つだけ、議論に取り残されている論点があります。私自身、この点について、どうしたモノかと考えているところです。

デジタル化で気になること

実際、私が受け継いだ糀屋三左衛門は、伝統企業に属するとは思いますが、デジタル化は出来るところから進めています。簡易的なCRMも入れましたし、タイムカードもクラウド化しました。営業の報告もLINEやchatworkなどを使うなど効率化に勤めています。FAXも根強い業界ですが、通信会社と協力して印刷すること無くディスプレイ上で作業が完結するようにしました。

実際、経営者が自分でnoteを始めるぐらいなので、デジタル化の必要性や理解度は、それなりには高いと思っています。

その上で、デジタル化で気になること、それは「資料の保存性」です。

『何が重要な情報か』は自分じゃ無くて後世が決める

この保存性とは、100年、200年のレベルを想定します。果たして、今のクラウドサービスが100年後、200年後もデータを維持しているかというと、採用しておいて何ですが、自信がありません。

もちろん、重要なモノはローカルのバックアップをとったりしていますが、大事なのは『重要でない情報を如何に残すか』です。というのは、それが重要かどうかは自分では無く後世の人が決めるからです。

私自身、会社に残っている祖父や父の直筆のメモから、重要な情報や指針を読み取ったり、当時の会社の実態を生々しく想像できたり、何でも無い会社のアルバム写真から、昔の生産の様子を読み取ったりしています。

また、江戸時代に残っていた当社の種麹の出荷記録から、種麹の出荷量を元に、当時の酒造生産量が推定できるようなことにも繋がります。

今、国立歴史民俗博物館で行われている『性差の日本史』で、遊女の貧しい食生活の日記が展示されていました。もし、その時代の重要度で保管を決めていたら、身分の低い遊女の日記は保存されなかったでしょう。

「私の何気ない行動の記録は、百年後の研究対象になりうる」という気持ちで行っています。坂本龍馬は、死後の5年ぐらいは、一日単位で行動記録が分かっているそうです。それは、龍馬自身だけでなく、龍馬と触れ合った多くの人々の微細な記録の積み重ねがあるから出来るわけです。

それが、歴史の積み重ねでもあります。

その保存媒体は何年持つのか?

そして、紙というのは、長い歴史で保証された保存方法なんですよね。もちろん、水や火に弱いですが、それでも、それなりのボリュームの史資料が現在に残されている。今、大学院で伝統を研究するようになって、その史資料が豊富に残っていることのありがたさを、とても感じるようになりました。

また、大学院の授業で、掛け軸などの想定を行う表具師さんのお話を聞く機会がありましたが、「伝統的に使ってきたものは何百年も耐えたという実績があるが、それが手に入らなくなった来て化学的に代替した物は、本当に数百年持続できるか分からないから、怖い」と、自分が死んだあとに影響が出る、その責任を自分をとれないという怖さを語っていらっしゃいましたが、私も、その怖さは強く同意するところです。

先日、ジオシティーズがサービスを終了しました。多くの有用な情報が載ったサイトが失われました。NAVERまとめもサービスを終了しました。フロッピーディスクは既にフロッピーディスクドライブを探すことが手間になっています。MDもしかり、CDROMも、私が学生の頃に焼いたメディアだと、読み込みエラーが出るものが出始めています。

祖父、父、私の世代までは、日常のスナップ写真も紙焼きだったので、その頃の様子がよく分かります。家具の配置や風景から時代のヒントを読み取ることも出来ます。

でも、私の娘たちはデジタルでクラウド管理しているので、私たちの娘の世代だけ、七五三とかそういう特別な場面しか写真が後世に残らない。

ということは、十分にあり得ると思っています。

なので、私自身、日記をWebだけで無く、ノートにも付けるようにしています。恐らく、私の娘たちが経営者になって、私の足跡を辿るために読むとしたら、それはディスプレイでは無く、直筆ノートの可能性が高いと予測するからです。写真も、何気ない写真も積極的に紙焼きしてアルバム保存しています。

もちろん、もう20年ぐらいすると、クラウドのデータも物理的に頑丈かつ、恒久的(歴史資料に耐えるレベル)に、保存と参照が容易にできるような方法も生まれるのかもしれません。

なんとなく、後世の歴史家が「うわー、令和初期かー、あの時代だけデジタル化の初期で保存性が悪くて、極端に史資料が薄いんだよな。」とぼやく未来も見えているような気もします。

ただ、今の時代、娘や孫、その子孫たちに対して、私の活動記録(しかも、私が余り重要だとは思っていないような記録)をどうやって残してあげれば良いのかということは、とても悩むところです。

そんなことを考えると、また、全然違う次元で「クラウドに上げておけばローカルに紙で残すより安心」、、、なのか?と思ったりします。

でも、このnoteの下書きはGoogleKeepつかってて、やっぱ、クラウドって便利なんだよなー。娘の写真、データだけだと、もうすぐ1万枚を突破するし。紙で持てる量じゃないよなあ。

今日の話はここまで。

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