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ジェンダー運動は、男性高齢クレーマーをも救う

今日はエッセイ。

クレーマー対策の前提知識として、『高齢者世代の男性は若い頃から「男は人前で弱い感情を出してはいけない」と教育されてきた。』という点に留意することを聞いた。
 
 
どういうことかというと、『戸惑った』『不安だ』『心細い』『寂しい』という感情を表に出すことを、男性は長い間社会的に許されてこなかった。ましてや、表だって、自分に対する援助を求めることはもっと許されてなかったと言う話。
 

そのため、『ATMの使い方が分らなくて不安』『話し相手がいなくて寂しい』『やったことがないネット注文は心細い』『前に来たときと配置が換わっていて戸惑った』というような感情を抱いたとしても、それを素直に表すトレーニングを受けてない。
 
 
むしろ、自分の感情に蓋をして、自分の感情を『偽装』して行動してしまうクセになってる。それは『相手に対して怒る・叱る』『自分の立場を主張する』とか『下の立場の物を指導する』という形で発露する。『怒る・叱る・指導する』というのは、『男性が持ってもいいと許された感情と行動』だったから。
  

そして、私が入っているFacebookのコミュニティでも似たようなことがあった。地元の百貨店が閉店した際の書き込み。


ある高齢男性が、市内で続々と昔ながらの店が閉店していることとも絡めて「豊橋終わったな」と表現した。それに対して、若者世代が「**と言う店とか、**というスポットとか」たくさんあると反論をし『豊橋は別に終わっていない」と反論。それを受けて、当の男性も「私の若い頃は活気があって、、」と昔と比べて今はダメだという論調を張っていた。

当然、議論はエスカレートしたが、その男性の投稿に対して、ある女性が「別に、若い人を否定したいわけじゃないんですよね。懐かしんでいるだけなんですよね」と声をかけて、「そうなんです」とあっさり男性が矛を収めた。


当人だって、若者に喧嘩売りたいわけではない。でも、なぜか、つい、けんか腰の言葉をチョイスしてしまう。その理由は、そういう行動をしないと許されない教育と社会圧力を受けてきたからだ。そして、そのフォーマットでコミュニケーションするほど、本当は得たかったはずの反応『弱い気持ちへの共感』ではなく、『内容そのものの妥当性、正誤の議論』へと、相手の反応は遠ざかっていく。

高齢男性が『わかんないんだけど教えて』とか『自分の知っている人が、いなくなって寂しいから一緒にいて欲しい』とか 『初めて入る店だから不安』とか、もっと素直に言いやすくなる社会になれば、クレーム言動で現われる前に、穏便な形で周囲や若者の助けをスムーズに利用出来るようになり、クレームに対する、社会全体の負担や消耗も少なくなる。
 
   
そう、こうして、『ある性別には許されなかった行為に対して自由を獲得し解放しよう』という運動のことを、『ジェンダー平等』というのだろう。


『ジェンダー平等』は、男性も楽にする。

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