「飛込み」についてのスポーツ庁長官発言に思うこと。

いったい何年前のネタだよ・・・。

と、いまさら感満載ではありますが(笑)
小学校での水泳授業や海水浴場のライフガードや、なにより本業の海のお遊びやさんであるところの屋久島マリンサービスYMSの中の人として、この思いは以前より全く変わらないどころかいよいよ思いを強くするばかり。なので以前のブログよりちょこっと書き直して再度投稿でございます。

学校のプールでの飛び込みについて、「1メートルのプールでも飛び込みの練習はできる」「なんでもかんでも危険だからと全面禁止し、もやしっ子を育てあげていくのはどうかなと思う」
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/08/dive_n_15230030.html

と言う発言がけっこう盛り上がっていたわけですが、そこの話だけじゃなく、ちょっと言わせてくれよと・・・・。

飛び込みの話からはいきなりズレちゃいますけど、水っていうのは、実に身近で、実に必須で、実に面白く、実に危険なシロモノです。

個人的には水泳の授業、とくに一番初めは「いかに楽しく、いかに死なずに、水と遊べるか?!」であってほしいのです。

浮身はいまでも授業内でやっていますが、ライフジャケットなどの浮力体の使い方だったり、「ういてまて」に代表されるような生存浮遊や「着衣泳」のような生存遊泳をぜひともはじめのうちに。ビート板につかまって水面を移動することよりも、もっともっと大事な

「水の事故から命を守るというプール授業」

をしてほしいなと、海や川での水遊びを生業とするものとして強く思うのです。

ちょろっと調べてみただけなのでもしかしたら違っているかもしれませんが、「水泳授業での安全」は山ほど語られていますが、「水辺で命を守るためのプール授業」と言う観点では認識されていない、あるいは重視されていないように感じます。()

一応、わたくし学生時代は水泳部。もちろん飛込み普通にやってました。楽しかったし。競泳プールで飛び込みたい衝動に駆られたり。いまでも海では船から港から飛び込んだりします。そういう意味では、まったくもって飛込み否定派ではありません。

ただ、そもそも学校での飛込みっていうのは、「競泳の一行程」なわけで、「泳ぐこと」の多くを構成するものでもないと思うのです。そして現行の学校プールっていうのは「不特定多数の技量に大きなバラつきのある生徒が、安全に飛込みという動作を学習するには最適化されていない設備」であり、相応の準備がなければ一定の危険を排除しきれない「飛込み動作」のために、今現在教育につぎ込める決して多くはない予算やマンパワーをわざわざ割くまえに、「競泳で成績評価の前に、水の事故から命を守るプール授業」とか「(プールに限らず)学校でのスポーツに潜在する危険に対し、いかに効果的な安全管理をしていくか」とか、やらなきゃいけないことがあると思ってます。

ソフトハードとも飛込みが出来る環境があるなら、そこで適切に練習することは賛成ですが、あえて潜在危険がわかっているところで練習というのはいかがなものか?

それに発言の中に「1mの深さでも飛込みの練習ができる」とあるけど、「1mの深さが飛び込みの練習に十分な環境である」かは別の話。

これが「水深1mの川に頭から飛び込む」という行為だったら練習云々の前に「危ないだろーがっ!」って言われると思う。

海や川の水深1mで、僕は頭から飛び込みたくはないなあ・・・。


スノーケリング&ダイビングオペレーター
屋久島マリンサービスYMS

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