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都市と地方と私たちの「比較優位」のお話~都知事候補・石丸伸二さんの公約に寄せて~「経済学で語りたい」vol.1

まさか選挙の公約で「比較優位」という言葉を聞くことがあろうとは…。
まして、その言葉をあの「石丸伸二さん」の口から聞くことになろうとは…。
「よもや よもやだ。」


はじめに

本noteは経済学者の山岡淳(神戸大学経済学部)が、経済学をかみ砕いて、広く皆さんに知ってもらいたく、時間があるときに書こうと思い、だいぶ前にアカウントだけ作ったものです。
「経済学は面白いよ。こんな風に考えているよ。こんな考え方が役に立つよ。」と発信したいなぁとは思っていました。
だけど、色々、後手後手に回って、なかなか記事が書けなかったのです(言い訳ですが…)。

そんな中、今回の都知事選挙の候補者となった元安芸高田市長の石丸伸二さんの公約をネットで確認し、その中で語られる数々の経済学用語を聞き、いち経済学徒として、少し嬉しくなりました。
他方、「いやぁ、熱意は伝わるけど、理屈までは伝わらないよなぁ。」と思う自分もいたのです。
2年前、授業の中で地方議会と首長の関係で取り上げて以来、石丸ウオッチャーだったのですが、今、彼の発言を経済学者としてその経済学的解釈を発信することは、意義のある事だと思い記事をしたためることにしました。
ご高覧いただき、経済学と政策の理解に繋げてもらえれば幸いです。

さて、石丸さんの演説の中では数々の経済学用語が飛び交います。
今回のタイトルにもある「比較優位」、その他にも「経世済民」などなど、都市開発の話では地域経済学や経済地理学の理論も垣間見ることができます。
その中でもやはり、石丸さんが頻繁に使われている割に経済学を学んでいないと分からないであろう「比較優位」の話は、経済学者として発信してみたいな、と思いました。
この「比較優位」にまつわる理論、これは結構自分も好きな理論だからです。
自分は講義の中で「役立たずはこの世に存在しない」という、弱者にとっては救いの理論として紹介しています。
ちなみに比較優位について、神戸大学経済学部では1年生の前期の初級経済学の中で1コマを当てて取り扱っていますし、全国の多くの経済学部生も1年生の前期で習う概念だとは思います。

基本的に比較優位というのは、「地域間の交易によって、双方がとってより幸せになる方法を提示する」理論の構成要素となります。
石丸さんは話の中で比較優位について、東京と地方の関係を引き合いに出しながら、「東京が地方の良さを引き出していく。どんな地域にも「比較優位」があり、それを有効活用したい」としばしば仰っています。
まさに、その理論を実践に移そうとされているわけですね。

では、比較優位とは、どんな理論なのでしょうか?
最初に一つたとえ話をしたいと思います。

ただたとえ話と理論的な説明は、少々、冗長であります。
よく分からなくても以下のことを踏まえたうえで、「比較優位を生かした政策構想」まで飛ばしていただいてもOKです。

西の村と東の村があり、西の村は東の村よりも様々な作物を作るのが得意だ(絶対優位)。
ただ、東の村が自分自身の能力を見たときに、相対的に得意(比較優位)な商品の生産に特化した。
その後、西の村と交易すれば、双方ともに自分の村では達成できなかった生産を達成することができ、自分の村だけで全力を尽くすよりも幸せになれる。

西の村と東の村のたとえ話

西の村と東の村はそれぞれ人口が10人の小さな農村です。
両方の村では、米と芋を作っています。
毎年春になると、各村では10人で話し合って、米を作る人と芋を作る人に分かれます。
「今年は8人が米を2人が芋を作ろう」という感じです。
西の村では、1人の労働力で米なら5t、芋も5t作ることができます(非現実的な数字ですが、計算のしやすさのためなのでご容赦ください)。
東の村では、1人の労働力で米なら4t、芋は3t作ることができます。
西の村の方が、東の村よりも米も芋も作るのが得意なようですね。

西の村と東の村の労働者数別に考えられる米と芋の生産量は以下の表の通りです。
例えば西の村は米を作る人を3人とすると残り7人は芋を作り、米は15t、芋は35t収穫できるという事になりますね。

西の村と東の村の労働者の割り当てに応じた生産量

これらの生産可能なラインを図示してみましょう。
(本来は階段状になりますが、今回は簡単にするために直線にしてあります。)


西の村と東の村の生産可能性線

西の村で選択可能な生産量は青の線の上になります。
西の村ではどんなに頑張っても青の線を右に超えて生産することはできません。
同様に、緑線で示した東の村の生産量も、この緑の線を右に超えて生産することはできません。

ある年、西の村人が言いました。
「僕たち西の村は10人全員で芋を作るから、東の村は全員で米を作ってよ。そして秋に交換しよう」
東の村の人はこう答えました。
「え?そんなことしてもいいの?君たち西の村は、僕たち東の村よりも米も芋も両方とも上手に作ることができるのに…」
「いいから、いいから。これは両方の村が得をできる方法なんだ」
半信半疑でそのように生産をすることにしました。

秋になりました。
西の村では芋が50t収穫できました。米は作っていないので収穫はありません。
東の村では米が40t収穫できました。芋は作っていないので収穫はありません。

西の村人が言いました。
「さあ、君たちの米の半分の20tと、僕たちの芋の18tを交換しよう!」
この取引をすると東の村では、米が20t残り芋を18t手に入れることができます。
東の村人は驚きました。
なぜならこの量の生産をすることは東の村だけでは無理だからです。
米20tと芋18tを図示すると、東の村が達成可能な生産量の右側に位置しています(図の緑の星印)。
東の村人たちがどんなに頑張っても達成不可能な量です。

取引後の東の村の手にした作物量(緑の星印)

東の村人は聞き返しました。
「そんなにもらって大丈夫なの?君たちは損をしているんじゃないの?」
西の村人は気にもかけずこう返します。
「そんなことはないよ~見てごらん!」
西の村の手元には米が20t、芋が32t(=生産した50t―交換した18t)あります。
この量を図示すると、西の村が達成可能な生産量の右側に位置することになります(図の青の星印)。

取引後の両村の手にした作物量(各星印)

この取引によって、西の村も東の村もそれぞれが、自分たちの村の中だけで達成可能な生産量を超える作物を手に入れることが出来ました。
たしかに、これは「両方の村が得をする」方法だったようです。

学生にこの話をすると不思議そうな顔をします。
どうしてこのようなことが起こったのでしょうか?

絶対優位

さて、ここから少し難しいお話になります。
「絶対優位」と「比較優位」のお話をしましょう。

まずは「絶対優位」から。

西の村は東の村よりも米も芋も作るのが得意でした。
1人当たりの米の生産量が西の村5t>東の村4t
1人当たりの米の生産量が西の村5t>東の村3t
言い換えると、同じ量の米や芋を作るのに、西の村では東の村より必要な労働量が少ない状態です。
この状態のことを「絶対優位」と言います。

もう少し丁寧に言うと、「米の生産で西の村は東の村に対し絶対優位を持つ」「芋の生産で西の村は東の村に対し絶対優位を持つ」、この2つが同時に起こっているわけです。
仮に、東の村が1人当たり米6tを作れたら「米の生産で東の村は西の村に対し絶対優位を持つ」状態になります。

経済学の父と呼ばれるアダム・スミス(1723-1790)は、交易において絶対優位を持つ事の重要性を説きました。
たしかに、絶対優位があれば、色々と優位に立ちまわれそうなものです。
しかし、今回の東の村のように、米でも芋でも他の地域より生産性が低い、そんなことも現実世界ではしばしば起こります。

比較優位

次に比較優位のお話をするのですが、ここで新しい専門用語を一つ紹介しないといけません。
それが「機会費用」です。
機会費用とは「あるものを得るために諦めたもの」のことを指す、経済学においては非常に重要な概念です。
ただ、今回はそれについて話すとただでさえ冗長な文章が、もっと冗長になりますので、西の村と東の村の例に則って説明したいと思います。

西の村は、米を作る人を一人増やすと、芋を作る人を一人諦めないといけません。
これを生産量に直すと、米5tを生産するために、芋5tを諦めるわけです。
これを計算しなおすと、米1tだと芋1tを諦めることになります。
つまり、米1tを得るために、差し出す芋が1t未満だと得をするわけです。

東の村でも同様に考えることができます。
まず、芋を作る人を一人増やすと、米を作る人を一人諦めないといけません。
これを生産量に直すと、芋3tを生産するために、米4tを諦めるわけです。
これを計算すると芋1tだと米4/3tを諦めることになります。
つまり、芋1tを得るために、差し出す米が4/3t未満だと得をするわけです。

ここで両者の利害が一致します。
西の村は米20tを得るために、18tの芋を差し出しました。
この時、米1tあたりの費用は芋18/20(=0.9)tで、機会費用の芋1tより小さいので、この取引が成立すると西の村は得をします。

さて東の村はどうでしょう。
東の村は芋18tを得るために、米20tを差し出しました。
この時、芋1tあたりの費用は米20/18(≒1.1)tで、これは機会費用の米4/3(≒1.3)tより小さく、この取引が成立すると東の村が得をします。
このように、機会費用の差額によって、双方に得を与える取引が可能になります。

つまり、相手の機会費用と自分の機会費用を比較して、相手よりも機会費用の低い商品同士を交換すると、双方が得する事が可能という事です。
このある商品の機会費用が相手よりも低い状態のことを「比較優位」と言います。
今回の例だと「米の生産において東の村は西の村に対し比較優位を持つ」「芋の生産において西の村は東の村に対し比較優位を持つ」という事です。

「これはたまたま東の村が西の村に対し比較優位を持てただけじゃないか?」と思われるかもしれませんが、必ず何らかの商品で比較優位を持つ事は可能です。
下の表を見てもらうと分かりやすいかもしれませんが、片方の商品の機会費用はもう片方の商品の機会費用の逆数になっています。
ゆえに、片方の商品で機会費用が低い場合、もう片方の商品の機会費用は高くなり、必ずいずれかの商品で比較優位を持てるのです。
石丸さんが「比較優位は必ずある」と仰っているのは、これが根拠です。

両村の米と芋の機会費用の比較

これはアダム・スミスの後の時代の経済学者であるデイヴィッド・リカード(1772-1823)が提唱した比較生産費説と呼ばれています。

比較優位を生かした政策構想

基本的に地域に求められるのは、まずは絶対優位な産品やサービスを持つ事です。
なんらかの絶対優位があると、それを交易する事はその地域にとって得になるからです。
しかし、全ての地域が絶対優位な産品やサービスを持っているわけではありません。
そこで考えられるのが比較優位の考え方です。

ただ西の村や東の村のように、比較優位のあるものに全生産を傾けると確かに得られる利益は最大化できるのですが、それは現実的ではないでしょう。
ですので考え方を少し柔軟にしてみるといいかもしれません。

さっきの西の村と東の村の例でも、まず西の村人からの働きかけがありました。
つまり、協働で双方の最適点を探ることはできるわけです。
比較優位な領域が自明でないときは、互いにそれらを探り合うことも大事なわけです。

また、現実的には追加の財政施策を行う際の意思決定などにも応用可能な考え方です。
追加の財政施策をその地域で未発達な領域へ投資するのか、それともある程度実績やノウハウのある領域に投資するのか。
一見すると比較優位という事ですと、後者の方が良さそうな気もしますが、この際にも、地域の中の事情だけで決定しないことです。
未発達な領域でも、日本でどこもやっていない/やっている地域が少ないような領域ですと、比較優位あるいは絶対優位になる可能性があります。
基本的に経済活動は地域を超えて連関しているものでありますから、相互の関係を考えて意思決定を行う必要があります。

重要なのが比較優位を持つ産品・サービス同士の交換にあると思います。
(現実では例で紹介したような物々交換ではなく、貨幣を介するものではありますが…)
周知のとおり、東京は(というか多くの大都市圏は)それ自体が独立して存在できるものではありません。
東京は地方によって支えられています。
東京で作ったものを買ってもらうためには、地方に元気がないといけません。
この両者は「チームメイトであり」、どちらかが弱ると共倒れになります。
ゆえに、交付税を東京から地方にただ回しているだけでは、比較優位の関係を十分に発揮できないと推察されます。
例えば、東京が絶対優位かつ比較優位を持つものとして、ITテクノロジーがあったとした時には、同じ費用がかけるのであれば、東京内ではなく、地方の方が恩恵は多くなります。
このように、生産の面だけでなく技術や人材等の面でも、比較優位の考えを応用した東京発信による地方の活性化は可能だと考えられます。

比較優位の懸念点

比較優位の理論、これそのものは東京と地方を元気にするのに有用そうではあります。
しかし、あくまで「理論的には」です。
それを実際行う際にはいくつかの現実的な問題が懸念点として挙げられます。

最たる例がモノカルチャー化です。
モノカルチャーというのは、比較優位に特化するあまりに、特定の産品やサービスに傾倒してしまうことです。
先ほどの西の村と東の村は互いに意図してモノカルチャー化しました。
たしかに最も効率は良さそうです。
ただし、モノカルチャー化は産業ひいては経済の脆弱性をもたらします。
仮に一次産品であれば、気候変動や災害のリスクをもろに受けてしまいます。
例えば米に特化した場合、長雨で一気に地域の経済が傾きます。
途上国などはこのモノカルチャー経済が呪縛になって、なかなか経済成長(テイクオフ)ができないという事例もあるくらいです。
強靭な経済を作るためには、1つではなく3-4つの比較優位を作り出すことが肝要なのかなと思います。

次に考える比較優位の問題点ですが、あくまで理論を理念的に扱っており、具体的な施策に結び付けるのが困難でもあります。
ゆえに具体的な施策を打ち出すというのは、困難で地域間の調整が必要になるので、少なくとも候補者段階では、なかなか突っ込んだ政策論争はできません。
もちろん、理念だけでアピールすることは全くそれ自体に問題はないのですが、「具体的に何をするの?」という行動を示して欲しい有権者には刺さりにくいという課題があります。
ただ、石丸さんはご自身の発言の中でも、首長が理念を示し、具体的施策は職員が考える、という旨も仰っているので石丸さんとしてはたいして問題視していないかもしれません。
他方、小池さんなんかは具体的な施策を中心に公約を押し出しているので、具体的な行動を示して欲しい有権者の耳目は集めそうです。

続いて、運用上の課題もあろうかと思います。
あくまで理念レベルでの比較優位とはいえ、どのように対象地域を選ぶのか。
比較優位をどのように定めるのか。機会費用をどのように計算するのか(計算しなくてもエイヤでいけそうな気もしますが)。
私は貿易論やミクロ経済学の専門家ではないので、ひょっとしたらそのあたりの領域で実践論はあるかもしれません。
最終的には対象地域との連携協定とその具体的施策という形で具現化するものでしょうか。
まあ、このあたりの運用に関しては他の具体的施策でもあがってきそうです。
現実的には適宜現場判断となりそうですが、ただ「これは不可能だ」あるいは「これは無意味だ」というほど致命的な問題はなさそうです。

さいごに

冒頭に比較優位は「弱者にとって救いの理論」でもあるとお伝えしました。
西の村と東の村の例を思い出してください。
東の村は米を作る能力も芋を作る能力も西の村以下でした。
だけど、西の村と協力することで、双方が得になる選択をすることができたのです。
自分自身も偉そうに講釈垂れていますが、経済学者として、大学で働く組織人として、社会人として、「やっぱりあの人はすごいなぁ。叶わないなぁ」という人はいます。
ですが、その時にでも自分はダメダメだから何もやらない、自分の中で全て完結させる、というのは得策では無いわけです。
勇気を出して、コミュニケーションを取り、何が比較優位か考えることで、双方にとっていい結果になるという事を、この理論は後押ししてくれているのです。
ゆえに、政策だけでなく、個人の生活においても流用可能な経済学理論だと思います。
自分の比較優位を見つけて動きましょう!


わわわ、えらいこっちゃ。
思うままに筆を走らせていたら6000字以上にもなっていました…。
ここまでの内容が経済学の理解、石丸さんの政策理解に繋がれば幸いです。
私も一応、博士(経済学)ではありますが、この領域は専門ではありませんので、もし「間違っているよ!」という事があれば、ご指摘ください。

その他にも、時間があるときに何か発信していけたらいいなと思いますので、よろしければご感想や取り扱ってほしいネタなどがあれば、コメントないしXでお申し付けください。


それでは。またね。

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