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自分のことばを生きる

中学1年のとき、担任の先生が同窓会に行った話が妙に記憶に残っている。当時、先生には長らく連絡を取っていなかった親友がいたらしく、同窓会で会えるのを楽しみにしていたそうだ。その友人を会場で見つけ、喜び勇んで話しかけに行ったのだが、どうにも"言葉が通じない感覚"に陥ったという。決してよそよそしかったわけではなく、友人も再会を大層喜んでいたらしい。だが、話している言葉にどこか違和感を感じ、別の人物になってしまったような印象を抱いたそうだ。とても寂しい気持ちがしたと、帰りのホームルームでぼやいていた先生の姿が忘れられない。

人も社会も言葉でできている。言葉で世界を分節し、物事を理解し、言葉によって価値をつける。集団には集団特有の言葉があり、それを習得することで集団の一員になる。社会の中で、人はそれぞれの言葉を生きている。同級生の言葉遣いが変わってしまったのも、きっとその人なりに社会に適応してきた結果なのだと思う。

僕自身も、社会に出てから慣れない言葉を必死で身につけてきた。転職したり、会社を立ち上げたり、新たな事業に関わったりするごとに、新しい言葉をどんどん身体に染み込ませていった。ちょっと鼻につく横文字のビジネス用語も、今ではさらっと口にしたりしている。

でも、簡潔でわかりやすく、合理的な言葉を発する自分をふと客観視したときに、なんだかとても居心地の悪い気分になる。僕はもともと、こんな言葉で話していたのだろうかと。身体に合わない服を着ているような窮屈な感覚が、言葉を発するたびに押し寄せてくる。

思うに、いまの社会は市場の言葉に侵され過ぎている気がする。経済以外の分野でもビジネスの言葉が多用され、その言葉が人びとのモノの見方に大きな影響を与えている。コスパという言葉はその典型だろう。ビジネスの言葉が行き着く先は、煎じ詰めれば適者生存だ。上手くやった人が生き残り、そうでない人は淘汰される。その背後にあるのが「戦争のメタファー」だと、詩人の長田弘の言葉に気づかされた。

人生は受容であって、戦いではない。
戦うだとか、最前線だとか、
戦争のことばで、語ることはよそう。
たとえ愚かにしか、生きられなくても、
愚かな賢者のように、生きようと思わない。

長田弘『世界はうつくしいと』みすず書房、P64

僕が感じていた違和感は、まさにこれだったのだ。僕はいつの間にか、自分の人生を戦争にしていた。戦場で役に立たない言葉を廃棄し、効率的に戦場を制圧するための言葉を、知らぬ間に装備していたのだ。特にここ数年、慣れない領域の仕事をしていたこともあって、余計に武装化が進んでいた。本来、定量化も体系化もできないはずの人の幸福を、戦績を上げるために無理やり言葉にし、鋭利に研ぎ澄ませていた。でも最近になって気づいたのだ。それらは、全然自分が話したい言葉ではなかったのだと。

冗長で、わかりにくく、何の役にも立ちそうにない。そんな木偶の坊みたいな言葉を僕はずっと話したかったし、そういう言葉を生きたかった。愛してやまない小説や詩や哲学、映画や舞台や音楽が与えてくれた言葉を、戦場では何の役にも立たないと切り捨てたのは、他ならぬ僕自身だった。こうなってしまう原因の一端には、やはり社会で話される言葉がどんどん単一になっていることが関係していると思う。

願わくば、たくさんの生き物がその命を輝かせるように、たくさんの言葉が響き渡る社会になってほしい。誰もが、勝ち負けや損得の外にある自分だけの言葉を生きてほしい。そのために、まずは僕自身が僕だけの言葉を生きることに、今、決めた。


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