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今治ボンダンス(仮)取材。(6月7日)

今治ボンダンス(仮)。いつもはその土地に実際住見込んで取材と制作を進めるのですが、今回は経費削減の為自宅の松山から通って取材をしています。
松山に自宅から今治までは車でおよそ1時間。

今治市役所
観光課は6階

本日は朝から今治市役所「観光課」へ、職員の方に今治の民俗資料館や博物館の場所を教えてもらったり、バリィさんの権利関係とか色々教えてもらい、
観光パンフレットを山ほどいただきました。ありがとうございます。

さすがは観光都市「世界の今治」

その後は、観光課で教わった村上海賊ミュージアムに行ってみることに。
ミュージアムはしまなみ海道の中にあるので、高速道路で「大島」へ。

立派な村上海賊ミュージアム

入場料大人300円。
実際出土した遺跡やら甲冑やら船旗やらの展示で見応えがありました(写真撮影禁止)。
一言に村上海賊といっても能島、来島、因島の3家に分かれていることや、日本海海戦の時に秋山真之が村上水軍の兵法で勝ったこととか、知らないことがいっぱいあった。
館内で上映されている草刈正雄ナレーションの映像も良かった。

マスクしとる

村上海賊と呼んだり、村上水軍と呼んだり、今まではぼんやりと
「海の荒くれ者の傭兵部隊」のようなイメージ
を勝手に持っていたのですが、展示をじっくり見て全く違うということが解りました。
そもそも「水軍」と呼ばれたのは江戸時代になってからであり、それまで「水軍」という言葉自体が無かったのだとか、
また「海賊」=「略奪や暴行を行ういわゆるパイレーツ」では無く、
逆に海の安全を保障する存在であり、海外との物流に関わる商人であり、連歌や香、茶も嗜む当時では高レベルな文化人であったり、漁師であったり、
「水軍」という側面はむしろ「村上海賊」のほんの一面に過ぎず、
様々な側面の総称としての「海賊」であることが展示を見ることで実感できて、村上海賊が今治の人々から愛されていることがよく解りました。
この「海賊」はNINJAやSAMURAIのように英訳出来ないため、今治市は「KAIZOKU」を世界に発信していくのだそうです。

左の小島がかつて能島城があった海城跡

村上海賊ミュージアムを出て、かつて能島城という海城跡を見下ろすことが出来るカレイ山展望公園へ。
太古からこの場所を様々な船が行き交っていたのだなぁ〜とロマンを感じました。

亀老山展望公園から
亀老山から望む今治市街地
夕暮れの来島大橋

島の反対側にある老亀山展望公園にも登ってみる。
瀬戸内海はとてもとても美しいです。
この美しさを音頭で表現しなければ!と今回は思いました。



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