見出し画像

第11稿 「さ」みしさ(寂しさ)

ここでは、「あ」から順番に、それを頭文字とする言葉をテーマとして文章を書いていきます。

今回は「さみしさ」について書きます。


寂しいって何かこう、あまり好ましくない感情みたいに思われているような気がするのですが、いかがですか?寂しいから人との繋がりを求める的な?


私はそのあたり、案外強いのか、寂しいという感情に鈍いのか、あまり自覚することが少ない気がします。

いや、もう少し白状してしまうと、寂しいって感じたとしても、誰にどう頼っていいのかわからないから、感じても無駄と思っているフシがあると言いますか。

寂しいって言ったってどうしようもないじゃない?とどこかで思っている気がします。


でも、なぜそういう考え方であったかを思い返してみると、単純に、小さい私の周りには、私の寂しさに寄り添ってくれるような人も場所もなかったから?

だから、どこかで諦めていたのか感じないようにしていたのか、感じても打ち消していたのか、もしくは、本当に寂しくなかったか。


いずれにしても、私にとっては寂しいって、無というか、ときに感じることがあっても、ただ寂しいという感情がある、そんな場合が多いように思います。


それでもたまに「あーもうダメだー。」ぐらいに落ち込んだりしたときには、急に寂しいというか、「私は一人ぼっちだ。」となぜかやたらと思い知らされる感じがして、身動きが取れなくなるときがあります。

体が丸ごと波に飲み込まれてしまうような感覚。


もしかすると、これは普段、寂しいを小出しにしていないから、やられるのかもしれないなぁと、今これを書きながら思ったりして。


こんなときは、もうひたすらその感情・感覚に浸りまくり、それでも自分を連れて行かれそうなときは、寝たり、お風呂に入ったり、ごはんが食べられたら食べたり、体を動かす余力があれば動いてみたり。


きっと、いろんな人がそれぞれのやり方で、そういう自分の感情と付き合いながら生きているのじゃないのかなぁ。

それぞれのバックグラウンドや、今目の前の状態、落ち込みの深さなんかによって、対応は違うのかもしれないけれど。


寂しいについて考えていたら、そんなことを思ったので、今日もそのまま書いてみました。

みなさんは自分に対し、どんな対応をしているんでしょうね。私と似た内容の人も「え、そんなやり方で!?」みたいなことをする強者もいるのでしょう。面白いですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?