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いちごのないパフェ

小さい頃、よく泣いてた。

いちごが大好きで、夜ご飯にいちごが無くて泣いていたし、病院に行った日の帰りには家のソファにうずくまって拗ねていたらしい。

いつだったか、母は私によく話してくれた。
あの時泣いていた理由なんかいっこも覚えてない。

私が今抱えている悩みも、苦しみも、悲しみも、
いつかは全部忘れられるんだろうか


学生時代、わたしはいつも何かに苛立っていた

私達の価値なんて制服や、10代の儚い青春とかいう謎のエモみたいな付属品によって決められているようなもので、必ず期限が切れてしまう。

その途端に私達には価値がなくなるのかな

それってなんだか、
いちごのないパフェみたいで嫌だ。

大学生、社会人、20代、色々肩書が変わっても
結局、おんなじことならどうしようもないよね

テレビや漫画でよく30歳までとか、30歳をとてつもないことのように言うけど何が違うんだよって思う

なんでいつも私達は消費されていく存在なんだよ
(これは全て性別や年齢に限った話ではないです)

でも、色々肩書が変わっても結局おんなじことだから。人間は結局何かにカテゴライズしないと価値を捉えられない愚かな生き物だから仕方ない

そんなことを思いながら、マフラーの静電気が怠くて早足で帰った道も、ひとりで温めた手とか全部覚えている。あの頃の私の悩みも全部大人達からは
「思春期」と言う枠で片付けられてしまうもの

田舎で育った自分にどこにも逃げ場はなかった
現実逃避する権利すらここでは貰えなかった
私がいちばん私を「可哀想」に当てはめていた

あの頃の私が、今の私を見たらどう思うだろうか

年齢だけは大人になって

この世界が少しだけ広いことを知ったし、
その広さに私は打ちのめされてしまった。
同じ場所からずっと動けずにいる。

感情はいつも届かなくて、どこにも行けない
それでもきっと、いつかはマシになるのかな

子供の頃みたいに
全部、簡単に忘れてしまえたら良いのに


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