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題... 私の考え方は“わびさび”なのかも

◆ なるほど、それが、“わびさび”の世界観だったのですね。

~~< 以下 引用 >~~   ■ 「わびさび」、日本独自の世界観 完璧を求めず ⇒ https://bbc.in/2AJ4raY     ゆっくり回る碗から渋々と手を引っ込めながら、でこぼこした側面がゆっくりと止まるのを見ていた。もう少しだけまっすぐにしたかったな……と、そう思いながら。   日本の山口県の田舎にある古い陶芸の町、萩でのことだ。そのままにという陶芸家の言葉を信じたが、私にその意図が理解できたとは思えない。陶芸家は笑顔でこう言った。「わびさびですよ」。   そして火を入れるため、碗をさっさと持って行ってしまった。私は座ったまま、いびつなのにと思いながら、陶芸家の言葉の意味を考えていた。   どうやら、「わびさび」という言葉の意味が分からないのは、よくあることらしい。日本の美意識の大事な部分で、日本の好みや美の基準に今も影響する古くからの理想なのだが、「わびさび」は翻訳できないだけでなく、日本文化において、定義すらできないと考えられている。     ●不十分が想像力を刺激     ●避けがたい死の受容     ●完全性という欠陥

◆ 私流に“わびさび”を解釈すると、“ものこごとは、何でも、まぁそんなものだろうという程度に理解しておくべきもの”ということになります。

 これは、私が唱える社会相対性理論の発想と似ている。社会相対性理論は、日本独自の美意識にもなっているそんな“わびさび”の世界だったようです。(→ 注1)
 同じことを、人工知能の発想を思いついたノーベル賞受賞の研究者のH.A.サイモン氏は“満足”という概念で説明しました。
 サイモン氏は、“最適基準”よりは“満足基準”の方が何かと都合がいいことを指摘してくれました。(→ 注2)
 私流に言えば、それは、“達観”という概念に置きかえることもできます。それは、“あきらめの境地”のようなものかもしれません。[#達観]

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●(注1)  社会相対性理論については、2013.2.16のブログ『社会現象は全て相対的 → http://bit.ly/2xvrXocや、2014.1.17のブログ『社会相対性理論と達観力 → http://bit.ly/2czNfe1をご覧ください。
●(注2)  “最適より満足”ということについては、2018.9.11のブログ『“最適解”よりも“満足解”なのです』をご覧ください。[→ http://bit.ly/2rgSi8X


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