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2011年、夏
蛍光灯に照らされた台所で、水色の網に黙々とバナナをいれる。
青いビニールテープで口を縛って、さらに大きな袋につめる。木に巻き付けられないと困るから、テープは長めに。長すぎるぶんには問題ない。
「ちょっと焼酎ちょうだい」
まだ6時だってのに親父は、たっくんとおじいちゃんと一緒に酔っぱらってる。
「カナタ、あんまりたくさん使うなよォ」
「ムシにあげるために買ってきたんじゃないんだからな」
親父の”ムシ”という言い方が気に食わない。おれが欲しいのはアリとかハエじゃないんだ。
カブトムシ。
もう何年も追いかけまわしてきたあいつだけが、おれの目当てだった。
一週間前にはじめて捕まえることができたそれは、想像していたよりもずっと小さかった。図鑑の写真ばかりをみていたおれは、写真の下にある無機質な"80mm"という文字の意味を、真剣に考えたことはなかったのだ。
だけど、長い角に赤褐色の羽、思い描いていたすべてが、余すことなくこの小さな図体に詰まっている。それは、いい意味でカブトムシに裏切られた瞬間でもあった。
ーー
小さいころから昆虫が大好きだったおれは、夏休みに静岡のおばあちゃんの家に行くと、一日中虫捕りに明け暮れていた。
GAPの帽子に虫捕り網を掲げ、川に行ってはオニヤンマが飛んでくるのを無限に待ち続け、山に行っては散策するジジババを押しのけアオスジアゲハを鬼のように追いかけた。クマゼミというクマゼミを一網打尽にし、夏の道路公団は瞬く間に静まり返った。
だけどおれは、カブトムシを捕まえることができなかった。
捕まえられないどころか、生きたカブトムシをみつけることすらできなかったのだ。
樹液の出る木もみつからないし、街灯に集まる虫の中を探しても見つからない。毎年のようにカブトムシ探しに明け暮れているというのに、まるで現れる気配がない。
でも、いるんだ。ここには確かにいる。水銀灯の下やミズナラの木の根元に、あいつの羽や足が落ちているのをみる限り、このあたりに潜んでいるのは間違いない。
「どうやったらカブトムシ、みつかるのかなぁ」
半ば諦めかけていたおれはぼやいた。
するとソファーで伸びきっていた親父が、おもむろにポケットからなにかを取り出した。最近流行りだした"スマホ"だ。
あんなちっちゃな機械で、ネット検索ができて、動画までみれるらしい。あれより一回り大きいPSPでもみれなかった動画がみれる。動画がみれる、動画が、動画が。静止画でなく、動画。同人誌じゃなく、エロビデ
「この、バナナトラップってやつ、やってみたら?」
えっ バナナ
「バナナをネットに入れて、木に吊るしておくんだって。結構とれるらしい」
あっ、カブトムシの話か
「でも臭いが強いほうがいいらしいから、バナナを焼酎に漬けて発酵させるといいらしい。あとカルピスもかけるんだって」
バナナにカルピス
おれと親父はさっそく近くのジャスコに向かい、バナナと焼酎、そしてカルピスを手に入れた。ついでにさりげなく買い物かごにポケモンカードを忍ばせ、念願のデオキシスを手に入れた。
ネットに書いてある情報のとおり、バナナを焼酎にひたす。
「ムシにあげるやつだから安くてまずいやつ」と、親父が買った鬼ころし。
手にまとわりついてべとべとする。なるほどまずそうだ
ビニールテープで口を縛り、木の幹に結び付けようとした時だ。
幹の太さのことをあまり考えていなかったから、紐の長さがまるで足りない。
この長さで括りつけられるような細い木の幹となるとなかなか限られてくるし、親父は「臭いし人通りの少ないところでやれ」とうるさい。
細くて、人通りの少ないところにある(とはいえ立ち入れる場所)、虫の集まりそうな木。
そんな木が都合よく見つかるわけもなく、暑さも相まってもう投げやりになっていた。
ようやく括りつけた木は、杉林の手前、怪しげなキノコの遊具が置かれた公園の隅にある、小さなサルスベリの木だった。
近くにカブトムシが好きそうなドングリ系の木でもなければ、ましてや向かいは杉林だ。
こんなところにカブトムシがくるわけがない。そう思いつつも、面倒くさくなったおれは適当に結び付けてさっさと帰ってしまった。
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