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おもいで-そして誰もいなくなった

ラインがきた。

普段めったにこないライン。女性からのラインだと期待に胸を膨らまし、スマホに飛びついた。

しかし違った。

後藤という、男だった。

よりによって、後藤


後藤は、男の中の男だった。

バスケをこよなく愛し、バスケのために生きていた。

普段多くは語らない男だが、口を開けばバスケ、バスケ

バカのひとつ覚えのようにバスケと言っていた。

中学、高校とバスケに励んだ彼だったが、高校1年が終わるころ、彼は突然「顧問がキモい」といってバスケ部を退部した。

意外とあっさりと投げ出すもんだな、と思ったが、どうやら違った。

退部後、彼は僕と同じ陸上部に入部したが、バスケに対する愛を捨ててはいなかった。

練習にはバスケ部時代のトレーニングウェアを着込み、陸上部の部活前や部活中によくバスケをしていた。

顧問のことは嫌いでも、バスケットボールのことは嫌いにならなかったらしい。

多くは語らず、ただ一つのことを貫きぬく。その姿勢は、男そのものだった。


そんな彼からのラインとはおよそこんな内容だった


「なにか辛いことがしたい」


辛いことがしたい。まさに男の中の男だけが思いつく唐突なライン

なにが目的なんだ。なにが彼をそうさせたんだ。そんな細かいことはいちいち言わないのが本当の男というものである。だから僕も理由は聞かないことにした

高校2年の途中からというそこそこの付き合いの僕は、すぐさま返信をした。


「わかった」

「ママチャリで箱根にいこう」


特に深い意味はない。

このとき温泉の妄想でニヤニヤしていたので、なんとなく温泉に行きたいと思ったくらいだ。

そしてママチャリというチョイスは、それしか持ち合わせがないからである。


ー5分後ー

ラインがきた。

普段全くこないライン。女性からだと期待に胸を膨らました。

しかし違った。

後藤、それは男だった。

よりによって、後藤


彼からのラインとはこんな内容だった


「いいよ」


なにもよくない


こうして、箱根にママチャリで行くという謎の苦行が決まった。


ー当日ー


僕たちは、箱根を目指して、いや、彼の言う「辛いこと」をするためにひた走った。

しかしこの旅は、想像を遥かに凌ぐ辛さだった。


まず標高差がすごい。家から箱根までの標高差はなんと600m

600mというのはつまり東京スカイツリー1個分に匹敵する高さだ。


そして箱根までの距離。

よくよく調べてみたら自宅から100kmあった。

100kmというのはつまり東京スカイツリー158個分に匹敵する距離だ。わけがわからない


さすがの後藤も、これは必要以上の辛さだったらしい。

「こんなことがしたかったわけじゃない」とでも言いたげな表情

初めは笑顔ものぞかせていた後藤だが、次第に口数が減り、とうとう喋らなくなった。

いよいよ何がしたかったんだよと聞きたかったが、聞いたらブチギレられそうなのでやめた


仕方がなく僕は、道中にしっとりチョコを買うと、彼にいった。

「着いたら食べよう」


するとたちまち、彼の顔に笑顔が戻った。

男の笑顔とは案外やすかった


それから二人は、黙々と走り続けた。

延々と続く斜面。ペダルを漕ぐたび膝に負荷がかかり、とうとう痛めてしまった。それでも漕ぎ続けなければならない。


全身に痛みを覚えながらも必死にこいでいるのは、ママチャリ


傍からみたそれは、その辺のスーパー帰りババアの出で立ちになんら変わりないのである。


とうとう日が暮れ、あたりが見えなくなるというころ、僕たちはようやく箱根についた。




箱根では、天成園で休むことにした。

いつ着くかもわからなかった為旅館の予約をしておらず、夜間はずっと営業しているここではびこることにしたのだ。

ここには、リラクゼーションスペースなるものがある。

倒せる椅子が設置されており、十分な睡眠をとることもできる。


しかし着いてみると、あまりに混んでいて席がほとんど空いていない。

かろうじて二人分の席を確保できたが、少し席を離れればもう座れなくなってしまう。


仕方なく、僕たちは交代交代で温泉にはいり、場所取りをすることにした。

飲食禁止のリラクゼーションスペースでは、道中買ったしっとりチョコを嗜むことができない。

最も楽しみにしていた温泉では、共に苦しみを分かち合い、笑いあい、そして男性器を見せ合うという醍醐味を味わうことはおろか、席が気になってちっとも落ち着いて入ることができなかった。



翌朝、とうとう後藤はブチ切れた。

いや、ブチギレているのかどうかもよくわからない。


純粋に彼が疲れていたからだろうか。

しっとりチョコが食べられなかったからだろうか。

自慢の男性器を見せ合えなかったからだろうか。

いよいよなにも喋らなくなったのだ。


そして帰り道、残すところ半分といったところで彼は突然、こう言った。







「おれ、こっからおまえと方向違うから」




「じゃあな」









え方向違うっておまえ








すんでる県いっしょやん




男はそれ以上に何も言わなかった。



結局彼が何をしたかったのかわからなかった。

彼が何に機嫌を損ねたのかもわからなかった。

なぜ違う方向に行ったのかもわからなかった。



しかし一つだけたしかな事がある。



それは





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