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遠くに住む親に対する家族意識が薄れている

1月17日。母親が誕生日であることを思い出し、「誕生日おめでとう。息子が元気なのがプレゼントだと思ってください」とLINEを送った。

僕はどうも他人の誕生日に無頓着すぎる。生活を共にしている家族(僕、妻、長男、次男)以外の誕生日を忘れてしまいがちだ。長年一緒に暮らしていた家族の誕生日すら曖昧なので、友人にいたっては誕生日を知らない人もいる。だが、僕の誕生日は盛大に祝ってほしい。なんとも身勝手な男である。

母親からは「かつて長男だった方からのお祝いありがとう」と返ってきた。どうやら知らない間に山田家の長男ではなくなったらしい。色々あって「勘当だ」と言われていた時期もあり、基本的に連絡はしないし、帰省もしないので、いないようなものと考えられるのも仕方がないことだろう。

連絡する機会も顔を合わせる機会も多くないので血のつながった家族という意識が年々薄れているような気がする。ここまで育ててもらって親不孝な発言だが、かつて親だった人くらいの存在になっている気がしてならない。いないことが当たり前になりすぎて、本当にいなくなった時に僕は何か思うのだろうか。

先日、妻に「家族が亡くなったらどうする?」と聞かれた。妻や子供たちが亡くなったら悲しいどころか、僕の中で何かが壊れてしまう気がする。きっとまともな生活ができなくなるだろう。いなくなったことを想像するだけで涙が出そうにもなる。

だが、遠く離れた親に対しては感情が動かないような気がしてならないのだ。仮に親が亡くなったとして僕は何を思うだろうか。長男なので必要な手続きはしなければならないだろうが、気持ちの面で何か変化するとは思えない。今は健康的に生きているのがわかっているせいか、亡くなることを想像しても「あ、亡くなったのね」くらいの感情しか出てこない気がする。薄情かもしれないが、それくらい遠くに住む家族に対する意識が薄い。

二十数年もの間、親元で育ててもらっておいて薄情ではあると思う。遠くの親戚よりも近くの他人ではないが、親に対する意識がそれほどまでに希薄化している。とんでもなく僕が薄情なのか、これが一般的な感覚なのかはわからない。長生きしてもらうに越したことはないが、親元を離れてから親に対する感情が迷子なのだ。

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