身体と魂の癒着度

 そういえば幽体離脱ってしたことないな、と思いたって、大学時代に試みたことがある。その頃はスピリチュアルなものに傾倒していたけれど、別に希死念慮があったわけではない。やったことないことを、ただやってみたい時期だった。明晰夢もみてみたかったし。
 金縛りになると幽体離脱しやすいと聞いて、さっそく実行した。昼寝(午後三時くらいが、私のなかのベスト)を習慣にして、金縛りに遭うようにはなったのだが、肝心な幽体離脱までは漕ぎつけず、毎回、歯がゆい思いをした。私がそのときやっていたのは、金縛りから無理やり起き上がると、離脱できるというやつだったのだが、試しても試しても身体が鉛みたいに重くて、やっていくうちに疲れてしまうのだった。
 そんなある日、急に右手から肘までの幽体離脱に成功した。えっ、と思った。めちゃ嬉しかった。本当に右手がふたつあるようにみえて、しばらく重ねて遊んでいた。ザ・たっちの「幽体離脱~」というネタ(若いひとには分からないかも)を、自分の右手だけでやって感動していた。
 さあ本腰をいれるぞ、と思い、幽体のほうの右手を天井にのばして起き上がろうとした。
 バリバリバリっと私の身体が音を立てて軋んだ。何が起こったのか、一瞬分からなかった。急に耳鳴りがして、全身にバタバタと痛みが走った。生皮をはがされたんじゃないかってくらいの(体験したことはないが)、凄まじい痛みだ。これはやばいぞと思って、今度はゆっくりとやってみる。やってみたけど、けっきょく痛みを伴うのは変わらなかった。身体と魂はこんなにも癒着しているんだ、と納得し、思っていたよりも私はまだまだ生にしがみついていたいんだ、と悟った。

 だから私は、時折、誰かの「身体と魂の癒着度」について考えることがある。ひとによって、全く違うくっつきかたをしていると思う。
 例えば、生まれたての赤ちゃんは、身体そのものが魂という感じで、紙一枚はいる隙間がないほどぴったり寄り添っているのかもしれない。死期を悟っているひとは、魂だけが風船みたいに浮いていて、脚とか腕とか頭とかの一部が、かろうじて身体とつながっているのだろう。あした交通事故に遭うひとは、身体と魂が重なっているように見えて、指先しかくっついていないのかもしれないし、死のうとして死ねないひとは、魂が身体から離れるときの痛みを、無意識のうちに知っているのかもしれない。
 そして死んだひとは、本当にもぬけの殻という感じだ。さっきまで魂が棲んでいた部屋というか器というか。「あ、誰もいないんだな」って、本能的に分かる。居留守を使っているひとの気配と、留守のときの気配がなんとなく違うみたいに。
 いまの私の、身体と魂の癒着度は、どのくらいなのだろうか。あのときは右手だけだったけど、両腕が幽体離脱できるようになっているかもしれないな。いや、数年経っただけではまだ変わらないか。

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