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【短編】エツコさん

中学時代、霊感のある友達がいた。彼女とはクラスも部活も一緒で、おまけに私と同じ塾に通っていた。一緒に帰ることも多くて、歩きながら彼女は、こういう幽霊がいたよって私に話してくれたり、この道はあれが出るようになったから嫌だって言って遠回りしたり、なんとなくその日、私に憑いているひとを教えてくれたり。いまでは嘘だあって思うけど、当時の私はけっこうのほほんとしてたので、全く疑うことなく彼女にしか見えない世界を楽しんでいた。

あるとき、彼女はエツコさんを連れてきた。といっても、私には全く見えないから、どういう姿や表情をしているかなんて分からなかった。ただ友達を通じて会話をすることはできた。まるで通訳者みたいに。彼女は私が言ったことを、後ろのエツコさんに伝えて、エツコさんが答えたであろうことを、私に教える。そのとき初めて、私が幽霊の声を聞くことができないのと同じように、私の声が幽霊にも伝わらないことを知った。もしかしたらエツコさんは、私の姿も見えていないのかもしれなかった。

「エツコさんは、いつ死んだの」

「分からない」

「なんで死んだの」

「分からない」

つまんない。そこがいちばん訊きたいのに。

「エツコさんの干支は」

「戌」

「じゃあ、誕生日は」

「二月」

そうなんだ、私と一緒だね。

「なんで、エツコさんはここにいるの」

「雪がみたいから」

雪か、と私たちは顔を見合わせた。もしそのときまで一緒にいられたら成仏するかもしれないね。そう友達と話し合ったのを覚えている。エツコさんが成仏を望んでいたかどうか本人に訊いたこともないし、幽霊ならみんな成仏したいでしょという安直な思い込みだったけれど、私たちはその願望を叶えるために手助けしようと決めたのだった。

だったけど、叶わなかった。

その年の夏休みに、エツコさんが消えてしまったからだ。
とても暑い日だった。友達の家で宿題をしていて、でもちょっと飽きがきていたから、私たちは気晴らしも兼ねて飲み物を買いに行った。
近場の自販機に向かうには、神社の前を通らなきゃいけない。友達はしきりにその前を通るのをためらっていた。彼女がどうしてそんなに通りたがらないのかが分からなかったから、ほら、なんともないよって、私が先に前を通った。わたしのぶんも選んできてよって友達が言った。後で払うからさ。いつもなら素直に従っていたかもしれないけど、その日、私はなんとなくその態度に苛ついて、なんで、一緒に行こうよ。戻って彼女を引っ張った。
彼女は私がわざわざ戻ってくるとは思わなかったようで、引っ張られるままに体勢を崩して、神社の前に倒れてしまった。

「ごめん」

とっさに謝って、私は彼女のそばに寄った。彼女は泣いていた。顔を真っ赤にしながら、

「だから、言ったじゃん!」

ものすごい剣幕で私をなじった。
はじめ、彼女が泣いているのは私が転ばせてしまったからだと思っていたから、なにが「だから」でなにが「言ったじゃん」なのか、うまく呑み込めなかった。

「エツコさん、消えちゃったよ」

結界が張られてたの。だから行かないって言ったんじゃん。え、そうだったの。私はびっくりした。なら、そう言ってくれれば良かったのに。私の耳のなかは焦燥したアブラゼミの声でいっぱいだった。そうだよね。そう言えば良かったんだよね。なんか言えなかった、ごめん。友達はうつ向いて、涙をぬぐっていたけど、また思い出したみたいに泣きはじめてしてしまった。
私はとんでもないことをしてしまったんだ。という考えが頭のなかをずっとまわっていた。でも片隅では、書きかけの宿題を気にしている自分がいて、なんでこんなときに宿題の心配までしてるんだろう。結局、彼女をどう慰めていいのかも分からないまま、しばらく私たちはその場に立ちつくしていた。

エツコさんに雪をみせてあげられなかったのは本当に残念だった。仮に成仏しなかったとしても、一緒に見て歩くことはできたはずで、雪ってこんな感じなんだよねって、エツコさんに語りかけることができたら、寒いだけのどうしようもない冬を楽しく過ごすことができたかもしれないのに。

彼女とは、それ以来、幽霊の話をすることはなくなった。あの頃の話を掘り返したこともない。霊感だって、彼女の嘘だったことも充分あり得たし、自分でつくりあげたエツコさんの存在が煩わしくなってしまったから、あんなふうに演技をした可能性もある。
でも私は、エツコさんのことは、大人になった今でもたまに思い返して、その度にやっぱり友達だったなって思う。お互い顔も姿も知らないし、もう会えないけど。

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