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【日記】遠い図書館 鶴見良行著作集を目指して

 先日、久しぶりに先生と話をした。それをきっかけにして勉強し直そうと決めたことがある。学生の頃は、母の実家の小さなまちでおばあちゃんたちから長い時間をかけて様々な話しを聞かせてもらっていた。その時間を主題にして卒業論文を書いた。あれからもう5年が過ぎた。この5年でみなが鬼籍に入られて、残されたのは手元のテープレコーダーと向き合いきれなかった思いのある分厚い卒論が一冊だけである。

 そんなことをあれやこれやと思い出したりしながらも、これからあのとき生きさせてもらった時間に対してどのような向き合い方をしたらいいのかわからなくなっていた。それを相談するのが今回の主題だった。そんな先生との会話の中で、何気なく宮本常一の名前を出していた。宮本常一が佐渡を丁寧に歩いて回ったという話を自然と口に出していたのだった。世阿弥、日蓮、北一輝といった名前を呟きつつ、佐渡に向けられた関心が胸のうちで大きく膨らむのを感じながら、それまでの数日を過ごしていたからだろう。

 すると先生からこんな提案があった。「何かに飛び込むまで案外慎重に検討するタイプでしょうから、せっかくの時間、宮本常一とか鶴見良行の全集でも読んでみたらどうかな?」その時それがとても魅力的に思えた。

 宮本常一は学生の頃『忘れられた日本人』だけは読んだことがある。上山信一先生の授業で初回講義の課題になっていたし、大学生一年生が民俗学に関心を持ち始める中で『遠野物語』と並び、早い段階で出会うことになる書籍の一冊でもあった。宮本常一の本は、他にも数冊は買って手元にあるが、しっかりと読んだというほど記憶は定かでない。また、鶴見良行に至ってはその名を聞いたこともなかった。兄の鶴見俊輔や姉の鶴見和子の本はそれぞれ一冊や二冊だけ読んだ記憶があったが、こと良行に関してはその名前さえこの時になって初めて聞いたのだ。まことに無学である。

 しかし、何故だかすぐに鶴見良行の全集の方を読んでみようと思った。もうすでにAmazonが開かれていて『ナマコの眼』『東南アジアを知る』『バナナと日本人』は安く手に入りそうだった。全集の前に、まずはどんな風な見方をする人なのか読んでみなければと、ポイントも貯まっていたから3冊を購入した。だが、本来の目的はやはり「全集」にある。調べていくと、どうやらみすず書房から『鶴見良行著作集(全12巻)』が刊行されているらしい。だが、思っての通り値段は相当するようだ。

早速届いた三冊。


 そこで、市立図書館のライブラリーで検索をかけてみる。どうやら、蔵書にないようである。新規リクエストしてみようにも、専ら鉛筆やペンを使って書き込んだりする読書習慣もあって、市町村の図書館とは無縁に生きてきたから、ホームページの情報だけでは目的へのアクセスがとても遠くに感じられた。よし、と思い立って、今日は午後から図書館に行こうと決意するのだが、今度は川を越えて、駅を越え、雪道を歩いて数千里という遠さがすでに重たすぎる腰をなおさらに重くする。気づけば日が暮れてもう閉館時間を過ぎてしまっていた。随分と日暮は遅くなってきたものなのだが、それでも雪国はまだまだ日照時間に乏しいのだ。

 明日、明日こそは図書館へ行こう。図書カードを作って、早速リクエストをしよう。こうしてまた明日も生きる目的ができた。そして、この春は鶴見良行著作集を読み進めよう。よし、こうしてこの春も生きる目的ができた。

終わり。

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