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【日記】ラーメンと小説の先生 朝日新聞は右寄りか?
今日は久しぶりにラーメンを食べた。近所のラーメン屋は煮干し系の県内で最近話題の店だ。店の外まで濃ゆい香りが漂ってくる。カウンターに腰かけて濃厚にぼしそば大盛りが運ばれてくるのを待っていると、ふと、思い出されることがあった。
あれは、大学3年の夏前のことだ。僕は豚舎でアルバイトをしていた。そして、そこで目にした、流産によって器官の未発達のまま土の上に転げ落ちた豚の赤子を主題にして『桃色の赤子』という小説を書いた。
あの年は、大江健三郎の初期の作品(岩波文庫から出ている『大江健三郎自選短篇』を読み終えたところだった)に強い影響を受けていた。今読み返してみると、特に『死者の奢り』のような雰囲気を多分に意識して書いていたのだろうことがはっきりわかる内容と文体を備えている。しかし、どこか自信に満ち溢れた若々しさを感じずにはいられず、そこからほとばしるものに今の自分は(当然ながら羞恥とともに)嫉妬心さえ覚えもするのだ。
あの頃は、書いたものに、書くという行為に向かう自分に、底知れぬ希望感があった。それは自らの破廉恥に対してあまりに無自覚なまま、恥ずかしげもなく、意気揚々としたものだった。
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あの日も、下宿先の駅前でラーメンを食べていた。狭く窮屈な店内のカウンターの片隅で、時間はもう随分と遅かった。後から常連と思われる初老の男性が入ってくると中瓶のビールと餃子を頼んで隣に座った。この時間と店の雰囲気には少し不釣り合いに思える身なりのいい紳士だった。
少しして男性の頼んだ餃子が運ばれてくると、僕は何となく気を遣うようにして目の前にある調味料を手渡し軽く会釈をした。男性は礼を言うとこちらを見て「学生かい?」と尋ねた。
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数日後、僕はできたばかりの『桃色の赤児』をSさんに送った。その時の返信を要約しつつここに引用したい。
御作、たいへんおもしろく読ませていただきました。〈口腔から次第に吸収され、収縮を繰り返す血管を伝いながら、毛細血管にまで流れ込んで、 神経から何やら、ありとあらゆる体毛の毛先の果てまで余さず、からだの隅々にまでじくじくと沁み込んでいくのを感じる〉といった微細な感覚描写、いま生きているという一瞬一瞬をとらえて、とてもいいと思います。
〈裂け目を生きる〉と表現される生の把握の仕方、すばらしいですね。
理屈で性急に答えを出さないで、大きなかたまりのまま抱えていくと、だれも見たことのなかった新しい地平が開けるかもしれません。これからの小説、楽しみにしています。
あれからSさんとの連絡は途絶えている。今でもラーメンを食べるとき、特に窮屈なカウンター席の隅に座ってラーメンを食べるとき、そんな時に、Sさんのことを思い出して、少しだけ意気揚々とした、若々しいあの頃の気持ちが甦えってくることがある。そして、今日もまた思い出されたSさんの言葉とともに、この先で取り組むことになるシゴトのことに想いを馳せながら、大好きな中太麺を噛みしめた。
終わり。
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