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【ラジオ】自分に問い、自分で考える【はじめました】


ラジオをはじめました

永井玲衣『水中の哲学者たち』

さいきん、哲学研究家・永井玲衣さんの本を読んで「哲学対話」の存在を知った。

哲学対話の場では、ある問い(哲学的問い)を立て、参加者たちが対話する。その際「『人それぞれだよね』で終わらせない」「偉い人の言葉を引用しない」などの約束ごとをもうける。より安心できる場、対話が深まる場にするためのものだ。

哲学的問いといっても、何も「愛とは何か?」などの壮大な問いだけにかぎらない。「なぜあいさつをするのか?」など、「身近だけど、言われてみれば考えたことがなかったなあ」といったことも哲学的問いになりうる。

哲学対話の場では、明確な答えを出さない。時間が来たらおしまいなのだ。対話の参加者は、それぞれが問いを持ち帰る。

永井さんのことを知ったきっかけは、自炊料理家の山口祐加さんのVoicyを聴いたことだ。Voicy上でも何度か対話を行っているので、興味のあるかたはそちらから入ると感じを掴みやすいと思う。

TBSラジオの「水曜日の哲学者たち」というコーナーも大好き。さくっと聴けて、リスナーからの問いもおもしろい。

問いがどんどん出てきた

永井さんの本を読み、問いがつぎつぎに湧いてきた。私のなかに、こんなにも問いたいことがあるとは思わなかった。問うことを禁じていたつもりはなかったけれど、どこかでやめてしまった気がする。

私はもともと疑問が多いほうで、子どものころから「どうして?」「なんで?」と思うことが多い。「先生や親が言っているから」という理由だけでは言われたとおりにできなかった。たとえば、学校の制服がどうしてあるのかが飲みこめず、スカートも嫌いだったので、中学高校は私服の私立校に通わせてもらった。

口ごもってもいい

問いが湧いてきたのはいいものの、わたしは独り暮らしだし、哲学対話のように深いところまで潜っていくやりとりをする場はない。問いの数に対して、場の数が圧倒的に不足している。ということで、ラジオをはじめた。

ここ数年、音声配信を始めたりやめたりを何度も繰り返している。ひとりで話すことへの抵抗は全然ないのだが「自分のなかで完結した話しかしてはいけない」という謎の思いこみがあり、しばらくするとしんどくなってやめてしまった。

永井さんの本には「対話の場で、言葉がすらすらと出てくる人よりも、言葉に詰まりながら、最後には何を言っていたのかわからなくなってしまうような人が好きだ」という旨が書かれていた。「そうか、口ごもってもいいのか」とハッとした。

「おとまり会の夜に話したいこと」

ラジオを始めるうえで、「おとまり会の夜」を問いの場として想定してみた。ふだんなら「なに真面目になってんの〜」と茶化したくなることでも、おとまり会の夜には、小さな灯りのもとで、静かに話しあえる魔力がありそうに思ったのだ。

ラジオでは、身近な問いや、ふだんモヤモヤしていることを、こっそり募集している。匿名でも送れます。


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