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【兎草子】法治国家としての日本を思う(24/07/11)


法治国家としての日本を思う

旧統一教会に支払った多額の献金を家族などが返金を求めていた裁判で、恒例の元信者が書いた「教団に返金を求めない」という念書が有効かどうか争われていましたが、今日最高裁は「無効」とする判断を下しました。地裁・高裁では有効と判断された判断を覆すこの判決。このところ、最高裁での判断が人に優しいものになっていると感じるのは私だけでしょうか。

とはいえ、裁判で争うのはほんと時間と体力とお金を消耗します。旧オウム真理教もそうですが、旧統一教会なんて、反社会勢力としてさっさと撲滅し、資産は強制的に被害者救済にあてればいいのに、と思ったりもしますが、もどかしいながらもこういう手続きをひとつずつ進めていくのが、法治国家というものなのでしょう。

明治の頃に、伊藤博文などが密航・留学してまで欧米の資本主義だけでなく法治国家としてのあり方を学び、憲法や国会の整備や三権分立という考え方に基づく日本という国家の土台を作ろうとしたその精神は憲法は変われども生きていると思います。戦前の大日本帝国憲法は、軍との関係・取り扱いについての法体系がまだ十分ではなかったために、不幸な戦争を引き起こしましたが、それはまだ欧米でもきちんミリタリーコントロールはできていなかったということでもあるのかもしれません。

戦前の法体系は、家長制度や男女同権の考え方といった偏った考え方もまだ残ってはいましたが、憲法に基づく民法や刑法、国会・行政と独立した裁判制度など現在の法治国家の形の基本はできていたと思います。だからこそ、憲法が新しくなっても、民法や警報などの法律は手直しで済んだとも言えます。もちろん大幅な改訂だったことは確かでしょうが。

改めて、明治維新を成し遂げた人々の理想の高さと実行力には感嘆するとともに、感謝すべきと思います。
変えるだけではない、一方で1000年以上続く天皇制など、日本の伝統も守った。守られた伝統があるからこそ、明治以降の新興国ではない、歴史と文化のある国として日本は世界の国々から一目置かれているのだと思います。
この絶妙なバランスはこれからもしっかり守っていきたいものです。
なにしろ、中国3000年と言っても、中国には国家として継続しているものは何もないのです。そこは自信もっていいのではないでしょうか。


今日も富士山で悲しいニュース

富士山で新たに3人の方が亡くなったと。梅雨が戻ってきた今日は、頂上付近は悪天候のよう。ほんと気をつけてほしい。


岩手の若者の活動が日経に

先日大船渡で出会った若者が日経新聞のニュースに。地域の中核企業とも提携して地域の課題解決のために取り組んでいくとのこと。大人が応援できることはもっとあると思う。



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