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noteはじめました 自己紹介

はじめまして。
株式会社ミライフで2022年1月より働き始めました金子由紀と申します。
これからnoteでミライフの日常をつづっていく予定です。
まず初めに自己紹介させてください!

■略歴
一卵性の双子として生まれる
茨城県の中高一貫校に進学
慶応義塾大学総合政策学部に進学
日本IBMに入社
リクルートエージェント(現在はリクルート)に入社
2022年1月よりミライフに入社

■好きなこと
・ワンコ(家ではクリーム色のミニチュアダックスを飼ってます。13歳のおばあちゃんですが食いしん坊のおてんばです)
・キャンプ(最近あまり行けてないのですが、テント泊したり、キャンピングカーを借りて旅行に行ったりしてます。)
・ゲーセンのクレーンゲーム(見かけるとついつい吸い寄せられる~)

双子として生まれたということ

私は一卵性の双子の妹として生まれてきました。
姉が生まれた6分後に私はこの世に誕生しましたが、私が生まれる前には先に生まれてきたほうが妹で、後から生まれたほうが姉という時代もあったとか。
当時はエコーがなく、お腹が異常に大きくなるなとは思っていたものの、生まれる一か月前まで双子ということに気づかなかったようです。
姉は3400グラム、私は2650グラムで二人合わせて6キロ越え!
しかも帝王切開ではなく自然分娩でした。
ほんと、お母さんよく頑張った!!

双子としてやってみたかったこと

双子で生まれたからには一度はやってみたかった
「突然双子が入れ替わったらばれるのか」

高校1年の夏休み明け初日に決行しました!
夏休み中に髪型を同じにし、上履きや持ち物も全て入れ替え、何食わぬ顔で私は姉のクラス、姉は私のクラスの席に座ってみました。
ドキドキしながら座っていたら、隣の席の男子が私を姉だと思って話しかけてきたので、
「よし、これはいけるか?」
と思ったその時、遠くの席から
「なんで由紀が座ってんの?」
という声が聞こえ、ざわつき始めました・・・。
やっぱり中高一貫校ですでに3年半一緒に過ごしているメンバーにはすぐばれましたよね。
なんとか先生にはばれずに怒られることはありませんでしたが。

姉も私のクラスで同じような状況になっていたらしく、朝のホームルームの時間のみで実験はすぐに撤退となりました~。

ずっと同じ道を歩んでしまう

双子というのはどうしてもお互いに意識してしまうもので、学力や進路の志向はほぼ同じとなり、大学は同じ慶應義塾大学に進学します。私は総合政策学部、姉は環境情報学部を選び、当時「双子の学部」と呼ばれていたところに双子で進学してしまいました。
大学のキャンパス内だとかなりの確率で姉と間違えられ、この時が人生で一番姉を演じる機会が多かった気がします。
その後も就職では私が日本IBM、姉は日本HPと、ともに外資系IT企業を選んでしまうほど、お互いに強く影響しあっていました。

人材業界への転職

IBMで4年間SEとして貴重な経験をしてきましたが、以前からあった人材業界への興味がだんだん湧きあがり、人材業界でIT業界のキャリアアドバイザーになればSEとしての経験が生かせると思い、リクルートエージェントに転職しました。
SE経験者だし、IT業界のキャリアアドバイザーになると思い込んでいたのですが、配属は食品業界担当の営業!
クライアントの採用を支援する仕事はやりがいがあり面白かったのですが、当時は労働時間の長さに対する意識が今ほど強くなく、長時間労働の結果、体調を崩してしまいました。すぐに当時の統括部長が面談をしてくださり、スタッフになることを提案していただきました。
提案いただいたスタッフという仕事は自分にとっては天職と思えるものでした。それまでのSEや営業の経験を活かしながら、周囲への貢献を感じられることが自分にとって大きなやりがいとなります。
その後、2度の育休をはさみながらリクルートには15年半も所属することになります。

人生の転機

(この後、病気の内容を含んでいるため、苦手な方はご注意ください)

2度目の育休中、自分にとって転機となる出来事が起こります。
これまでずっと一緒に過ごしてきた姉から
「乳がんになった」
と告白されます。
はじめは「乳がんはがんの中でも5年生存率は高いし、すぐに治るでしょ」と軽くとらえていたのですが、姉はちょうど第二子の授乳中でしこりに気づきにくい状態で、発見したタイミングではリンパへの転移がある状態だったことがわかります。
抗がん剤治療と手術が必要だったため、育休中だった私も姉の闘病生活を支える日々が始まります。
抗がん剤治療でがんを小さくしたうえで、手術を行い、幸いがんをとりきることができたのですが、残念ながら2年後には脳への転移が発覚します。
その後、骨転移や肝転移を経て、がんの発覚から5年半後に力尽き、39歳の若さで亡くなってしまいました。

自分にとっては一心同体のような双子の姉という存在がいなくなってしまったことで、自分の人生に対する意識が大きく変わります。
同じ体質の姉が早くして亡くなったのに、自分が長生きなんてするわけない、自分の人生もあと数年で終わってもおかしくないと思ってしまいます。
キャリアを積んでいくことももはや自分にとっては意味がなく、子供たちや姪っ子たちが自立するまでなんとか生き延びられれば十分だと思うようになりました。

そして再出発

そして今、姉が亡くなってからあっという間に3年経ちました。
子供たちや姪っ子たちもだんだん手がかからなくなってきました。
幸い私もがんなどの病気になることなく、元気に過ごすことができています。
姉も私が前向きに自分の人生を生きていくことを望んでいるはずだし、「そろそろ自分らしく生きよう」と考えられるようになってきます。

そんなタイミングで、リクルートでお世話になり、卒業して独立されている方と立て続けにお話しする機会をいただきました。
お話しする中で、「リクルートでの仕事は自分にとって天職で、ずっと続けたいと思える仕事だが、自分の能力である程度できることはわかってしまった、定年までこのままでいいのか?」という疑問がわいてきます。
子供たちの手が離れてきたこのタイミングなら、自分らしく生きるためのチャレンジをしてもよいかもしれない。
こうして42歳にして、15年半勤めたリクルートから10名の会社への転職を果たします。

最後に

長くなってしまいましたので、「どうしてミライフを選んだのか?」ということは改めてnoteにしたためたいと思います。
重めの内容もある中、最後まで読んでくださりありがとうございました。
でもやっぱり双子で生きてきたことは私にとっては切り離せない事実で、大切な思い出で、これを語らずして自己紹介にはなりえませんでした。

いろいろありましたが、今は明るくミライフで働き始めています。
私がキャリアデザイナーとして面談することはありませんが、転職を検討されている皆様により良いサービスを提供できるよう日々奮闘しています。

これからは新たな環境での日常を綴っていきたいと思いますので、よろしくお願いします!

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