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両親2人ともうつ病でした

私の母はボディービルダーです。そして、父はダイバーです。

2人ともサラリーマンとして働く傍ら、毎日ジムに通っていて、体を動かす趣味を持っています。その影響を受けて私も高校生の頃からジムに通っています。

いきいき、のびのびしている家族に見えますが、2人とも私が小学3年生の頃から、中学生になる頃まで、うつ病でした。

一番症状がひどかった時期は、母は一日中ソファーに寝ていて動かず、父も布団から出てこれない時期が続いていました。

お互い会話のない生活が長く続いていたので、私たち家族にとって、これが普通の状態なんだと認識していました。なので、自分の中で辛かったとか、異常だったとか感じることなく、思春期時代を過ごしてました。

ただ、こうして両親が自分のやりたいことをやっている姿を見ていると、こういう生き方の方が幸せだなと改めて感じています。

2人の変化を通じて、その子どもである私が感じていたことをあらめて書いておこうと思います。

病気の時期

 私の両親は2人とも体力があって、ストイックでした。仕事も子育てもギリギリの状態まで頑張って、パッキっと折れてしまったのだと思います。記憶では私が小学生3年生の頃病状が如実に出ていました。私は一人っ子だったこともあり、昔から1人で遊ぶことに慣れていたので、2人の状態を特に気にしていませんでした。
 両親は自分が生きることで精一杯だったので、私は自由に遊んで生きていました。友達の家に遊びにいくと、子どものやることに口を出すお母さんを、ものめずらしく思ったりもしました。
 この時期は特に家庭内で会話することもなかったので、会話をする家族が楽しそうで、羨ましく思うこともありましたが、よそはよそで受け入れていました。

子どもへの影響

 子どもとは私自身のことです。現在うつ病を患っていて、お子さんがいる方は、寂しい思いをさせていないかと気にかけていらっしゃると思います。その時の私は2人の病状にどんな影響を受けただろうかということを考えてみました。
 幼い頃から長い間その状態が続いたせいか、大事に捉えたことがありませんでした。私は遊ぶことに夢中で、学校も楽しく通い、放課後は友達と遊んで過ごしていました。その頃は、家族で過ごした記憶があまりないと言ったくらいです。

 家に帰って話し相手がいないことを寂しく思うこともあったと思いますが、そのうち慣れて楽しいことを見つけて、パソコンの前でほとんどを過ごしていました。
 その時は、ゲームとアニメに夢中で、勉強を一切せずにいました。多くの家庭では、怒られて止められていたかもしれません。私の人格はその時に見た作品に影響を受けています。それなりに幸せな日々であったと思います。

 だからと言って何も影響を受けなかったわけはありません。特に、母は私を産んだ際に仕事を辞めていました。その時の女性の働き方として、まだ、保育園の確保や育休が進んでいなかったこともあり、辞めるか預けて働くかの二択に迫られていたお母さんが多かったのだと思います。小学生になれば少し手も離れるので、復職やパートをしているお母さんがいましたが、私の母はなかなか働けない時期が続きました。

 自分も社会人になってみて実感したことですが、稼ぎがなく貯金が減っていく状態というのは、心理的にはなかなか厳しいものです。言葉で聞いたことはなかったものの、母もそれを感じていたのかもしれません。私もお金がかかることは両親に伝えることを躊躇していた記憶があります。
 階段を遊びで飛び越えてみて、足を思いっきり捻ってしまったものの、そのまま習い事に行って帰ってきました。「そのとき、なぜ言わなかったのか」と聞かれた時に「病院はお金がかかってしまうから」と答えました。そのとき、母は「お金はこういう時に使うためにあるんだ」と言っていたことを今でも覚えています。振り返ると、自分は「お金は使ってはいけないもの」だと、認識していたのだと思います。

それぞれの回復のきっかけ

 私が高校生になる頃には、母も仕事についていて、父も復職していました。精神的に安定し、気力をどうやって取り戻していったのかについて、お話ししてみたいと思います。

・体を動かす

 シンプルなことですが、人間として自然な状態であることが、回復の一番の要因だったように思います。仕事や育児が大変な時は、お互いで十分に運動する時間がなかったり、疲れを回復する時間がなかったりしていたようです。薬はそれ以上悪化しないように現状維持にはなりますが、そこから先は自分次第です。
 父も母も大学生の頃からジムに通っていて、エアロビやトレーニングをしていました。もともと、そういった運動が好きだったようです。
 母は、まず朝日を浴びて歩きはじめました。動かない時間が多いことと、薬の影響でめまいをしていたこともあり、体力が落ちきっていたからです。歩いているうちに走れるようになり、「ビリーズブートキャンプ」という当時はやっていた自宅用トレーニングDVDをはじめました。そのうち働き出して、ジムに通うようになり、マラソンを始め、大会に参加するなどをしていました。
 父は病気の間も会社には所属していたため、母の回復と共に、徐々に通常の生活に戻っていきました。もともと水泳が得意だったこともあり、ここ2、3年前から始めたダイビングでさらに生き生きとしています。


2人の経験から私が学んだこと

・自分を破壊することで、次の道が開ける

 今の2人と私があるのも、あの時の経験があったからです。口出しされないおかけで、自分で色考えざるを得なかったので、私は無事自立することができました。今では家族3人それぞれの人生を楽しんでいます。もともとの性格や環境、いろんな影響で人格が形成されていきますが、私の両親は限界まで進んでいった人なのだと思います。
 途中で諦めたり、無理だと思って辞めることがなかった。だからこそ、ギリギリまで進んで精神が壊れてしまったのだと思います。
 たらればの話になってはしまいますが、元来の性格が真面目にストイックな人は途中でセーブしてしまっては、そのギリギリの状態を続けてしまっていたかもしれません。
 一度破壊されたからこそ、常識を疑ったり、本来の自分について考える時間ができたのかもしれません。
 壊れないように頑張るよりも、一度壊れてしまった方が、回復する保証はないですが、新しい道が開けるのではないかと、勝手に思っています。
 一方で私は、すぐに壊れます。親の性格を受け継いでいるのか、やらねばならない状況に追い込まれると自分を奮い立たせて役割を果たそうと頑張るのですが、無理をするとすぐ病んでしまいます。体は丈夫ですが精神が脆いようです。無理して頑張らなくても役割を果たせる場所で生きていこうという境地に至りました。

・自然体を大事にする

 人間の心はまさにガラスのようで、一度壊れてしまったものが、完全に元に戻ることはありません。両親も、数は減ったものの薬を飲み続けています。人間は動物です。頭と体を使って進化してきました。それが極端に偏ってしまうと不自然な状況に陥ってしまいます。体を動かすことは、痩せるためとかそういうことではなく、食事と同じぐらい、生きるために必要不可欠なものなのだと思っています。そして自然体であることは、楽です。怠惰という意味で楽なのではなく、バランスの取れた無駄な力が入っていない状態でいることです。そう言った状態でいられるように、私自身心がけています。

・楽しいことに時間を使うことの幸せ

 趣味や遊びのない時間が長かったからこそ、仕事以外にただ楽しい時間を過ごせることは幸せなことだなと思います。
 遊ぶことにお金を使ってもいい。それを楽しむことに時間や体力を費やせることは、幸せなことです。

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