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勉強がマイブーム【花やふる道具日記】

花と古道具を扱う店で働く私が営業中にふと考えたこと。

煮てる鍋を待つには

最近、あれもやりたいこれもやりたい、けどお金がないとできないことを考えすぎた。

お金がないのに、お金があればできることを考えているのも悲しいので、少し難しいことを考えることにした。

じっくり映画を見る。
映画の詳しい時代背景まで調べて見ると、知らないことが次々と出てくる。

最近『家族の肖像』という ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画を見た。
その時代背景には革命で揺れるイタリアが舞台であり、登場人物たちはそれぞれに政治思想を持っている。

改めて調べてみると、政治思想の左右の違いについてよく知らなかったり、
なぜ不安定になるのかちか、いつからこの論争が始まっているのとか
知らないことを知った。

気になったので、少し難しい本を図書館で貸りる。
その本に全く歯がたたない。
なので。原書ではなく、それを解説している本を読んでみる。
難しいことを書いた人の人生を調べて見みる。

そうすると、知識のネットワークがどんどん広がっていく。
先のことをあれこれ考える暇がなくなる。

最近は仕事が終わったらすぐに家に帰って勉強したい。笑

テストもなく、授業もない。
全部自分のペースで学んでいけるってすごく自由だ。

学ぶって本来こういうことなのかなと、鼻を鳴らして見たり。

しまいには、今お金がなくてやりたいことができないのは、こうして学ぶ時間を作るためなんじゃないかとも思えてくる。

時には、蓋を開けずに待つことも必要である。

先を考えなくなったことで見えたもの

気になったことを調べていくと、鎖のように自然とつながりを持つ。

つながりを持つと記憶に残りやすい。
ストーリーで覚えると効果的だって受験の時にも何かで読んだ気がする。

そういえば、学校では科目を分けて徒競走のようにレーンが敷かれ、
干渉させることなく走ってきた。

数学と歴史や政治哲学は文系理系で分けられるから、なおさらそこにつながりを感じることはなかった。

松岡正剛さんが語っていた、物理学者の湯川秀樹さんがゆらぎについて話した言葉が印象的だった。
詳しくは覚えていないけど、
物理学者の言葉というより、アーティストというか思想に近いもので、そこに数式や理論は登場しなかった。

日本の数学者の言葉に目を向けると、
彼らの思想は数字だけで成り立っていないことに気づく。

日常のことや、普段見ている風景。
それを数字で記述しているような。

わたしの調べごとがまだ、数学にまで達していないから、
政治や思想という文系というか、社会的な学問が数学につながっていくかどうかわからない。

ただ、世界は一つであり、つながっているから、
どこかでつながっていくはずだと考えている。

こうして自分で組み立てていける自由を、
勉強真っ盛りの学生時代に知っていたら、
もっと楽しかったかもしれないと思ったりもする。

ただ、テスト勉強にはならないかもね。
高校生でクリアしなきゃいけないテストが用意されていて、
自分のタイミングで受けれたらいいのに。


収集欲

最近は、店先で考えていたことについて、全然書いていなかったけど、
一つ骨董や古道具に関する思いつきがあった。

骨董、絵画を扱っているとコレクターに出会う。

お金持ちの遊びだろうと思っていたので、
同じ用途のものを何個も欲しくなる気持ちがわからなかった。

とっておきの一つがあればいいじゃん、と。

けど最近これ欲しいと思えるものを見つけた。

それは本。
ただの本ではなくて、中国の芸術や文化について中国語でまとめられた雑誌みたいな本。

かしこまった学術書というよりは、低層もおしゃれでレイアウトも遊んでいる。雑誌に近いのだけども内容量もある。

インスタをフォローしていた古本屋に上がってきた。

昔から、海外に行くと読めもしない雑誌を買いたくなる。
雑誌や本という、日本語で見慣れたものが言語が変わったことで感じられる異国情緒に惹かれるのかもしれない。

この気持ちを思い出した時、
『蒐集』とはこのことかと気づいた。

明確な理由はないけど、なぜか惹かれてしまうものたち。
集めることでそれぞれがひきたつ面白さ。

ただ八千円という本にしてはお高め。
まだカートにしまっている。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


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