終末期ボンボン読者による、映画『化け猫あんずちゃん』感想
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初めに『化け猫あんずちゃん』のアニメ映画化の知らせを聞いた時、頭に浮かんだことは「あんずちゃんもボンボン作品じゃなかったのかあ」だった。
小学生の頃の自分は、『コミックボンボン』を愛読していた。『恐竜世紀ダイナクロア』で心を躍らせ、『天使のフライパン』で目元を濡らした。『ククルとナギ』に燃え、『小鐵伝!!』に胸を打たれた。どの作品も好きだった。その中には『化け猫あんずちゃん』もあった。
しかし、この時期のボンボンは終末期――すなわち休刊間際だった。多くの人から「迷走していた」と語られ、当時忌々しい体験をしたと告白する作家も少なくない。ただでさえボンボン読者はマイノリティなのに、そんな時期のボンボンが好きとはマイノリティ中のマイノリティである。もはやボンボンとの思い出は、遠く悲しいものとなっていた。
10年ほど前、アニメ『GON』のことを聞いて、一度「おおっ!」と思って立ち上がった。だが、ボンボンの『ゴンちゃん』は『ゴン』という作品のリメイクであり、アニメは『ゴン』の方だと知って、すぐに座った。その時、ボンボンにポジティブな話題は望めないと深く感じ取った。あんずちゃんがアニメになると聞いても、また同じパターンだろうと決めつけた。
しかし、映画が公開されてから何となく気になり始め、ちゃんと調べてみると、あんずちゃんは何かのリメイクだったわけでも、アニメ映画化が決まった時点で続編があったわけでもないという。あのボンボンのあんずちゃんがアニメ映画になったというのだ。しかも、『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』でお馴染みのシンエイ動画の手によって!
…マルチバースに迷い込んだのかと思った。終末期のボンボン作品が子供に大人気の世界に来てしまったのか? 混乱のあまり、カンバーバッチ並に頭が震えた。
そして、すぐにチケットを購入し、映画を観に行った。
ボンボンが休刊してから17年。当時ティーンエイジャーですらなかった自分も、あんずちゃんの歳に近づいていた。あれから失恋もしたし、ノンバーバルの激しい医者から親知らずを抜くようにも云われた。小学生の頃は「大人なのに少し情けないけど、たまに頼もしいおじさん猫」という印象だったあんずちゃんは、今の自分の目にはどう映るのか?
アニメ映画のあんずちゃんは、なぜか32歳から37歳に年齢が上がっていた。まだ一回りほど歳が離れている。17年経っても先輩でいてくれるのか、あんずちゃん……!
映画『化け猫あんずちゃん』は、前半は概ね原作再現、後半はオリジナル展開で話が進む。この二部構成に近い物語において、縦軸の要となるのがオリジナルキャラクターである東京から来た少女、かりんだ。
かりんは今風アニメの美少女っぽいキャラクターデザインで、『化け猫あんずちゃん』に登場するにしては少し浮いている。でもそれによって、都会っ子と田舎の出会い、現実と不可思議の出会い、現在と過去の出会い、更には大衆とマイナー作品の出会いを画面から感じられて、なんとも面白い。
実際、『化け猫あんずちゃん』の原作エピソードが2024年になって美麗なアニメーションとして劇場のスクリーンに映し出される様を観る自分の表情は、作中であんずちゃんを初めて見た時のかりんときっと同じだった。この映画自体が妖怪なのだ。
物語は後半から、地獄旅行、カーチェイス、妖怪と獄卒の対決と、原作にはない派手な展開を見せていく。正直、「大衆映画的なアレンジだなー」と思った。けれど、原作も含めて『化け猫あんずちゃん』において重要なのは、あんずちゃんが人を助ける一方で、何か偉業を成して「立派になる」わけではないところだろう。
作中立派な人物として描かれている柚季に至っても、地獄行きになるような、実は立派な存在ではないことが示されている。とは云え、娘のかりんにとって素晴らしい人であることには違いない。そしてこの作品は、柚季が地獄行きとなった理由は描かない。
気ままに暮らして、ときどき頑張って、たまに人の世話を焼く。星のような輝きはなくとも、誰かから必要とされている。人生で本当に重要なのはそういったことであると、人間の価値が数値化されたこの現代において説いているように感じられた。
ボンボンの作品を今の時代にこんな素晴らしいアニメーションにしてくれたこと。そして、肩の力の抜けた優しいメッセージを今の時代に届けてくれたこと。映画『化け猫あんずちゃん』は、色んな呪いから解き放ってくれる作品だった。
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