遊戯王引退

「以前、私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていた。しかし今は、十年とか二十年、三十年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。」
「報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。」

羽生 善治著 「決断力」(2005年、角川書店)
第10回 番外編 「才能とは、継続できる情熱である」羽生善治 将棋棋士

昨年の夏くらいから息子と一緒に遊戯王をするために40歳から学び始めました。その後引退するほどやれてもいなかったのですが、息子に「父さんにとっては、遊戯王は難しかった」と宣言し、所持していたカードを譲渡しました。息子をがっかりさせてしまったかもしれません。父親が何かを諦める情けない姿を見せるのも教育の一貫だと思うことにしています。40歳から学ぶ遊戯王は1年続かずに断念しました。

遊戯王で難しいと感じた点はルールが複雑である点です。カードの効果によって無数の組み合わせと、展開が拡がります。それが魅力の一つと思いますが、いくつもある組み合わせとその展開が頭に入っていないと、状況に応じた展開を構築できないし、相手の展開も読めません。このとき、相手の展開が読めないと、どのタイミングで妨害したら良いのかもわかりません。また仮にある程度カードの種類を絞って自分の理想とする展開を一つ覚えただけでは、相手からの妨害によって手詰まりになってしまいます。

カードの効果を覚えるという表現が出てくる時点で、かなり向いていない状態だと感じました。

何かを覚えようとして覚えるのではなく、何かを達成するために必要なことを繰り返していたら、記憶していた、という状態が相応しいのだと思います。

自分にとって繰り返しできること必要だと感じてしまうこと、それを改めて見つめ直して大事にしていこうと思いました。

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