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原発処理水の海洋放出は危険?安全?(前編)

「いつまでも方針を決めないで先送りをすることはできない」(菅総理)
2020年中にもと予定していた、福島第一原子力発電所から排出される処理水の処分方法の決定が先延ばしされ、菅総理はそう語りました。

福島第一原発の処理水を巡っては「飲んでも大丈夫」「放射性物質を含んでおり危険」等、様々な言説が飛び交い、問題の全貌が見えないという方も少なくないのではないでしょうか。

本当に安全なのか?海洋放出以外の選択肢は無いのか?

ここでは、処理水の安全性に関して、公表されているデータと報道から得られる限りの科学的な評価と、現状の課題を整理したいと思います。

福島に住んでいるわけでもない、直接現地を取材したわけでもない私がこのようなデリケートな話題について記事を書くことは恐縮ではありますが、本件について知りたくても調べる時間が取れないという方の一助となれば幸いです。

前編・後編の2回に分けてお送りします。前編では放射線や汚染水と処理水の違いなど、問題を理解するための基礎知識を、後編では福島第一原発を巡る現状と諸課題をまとめました。

身近な放射線とその影響

放射線と聞くと、なんだか日常からかけ離れた恐ろしいもの、という漠然とした印象を持つ方も多いのではないでしょうか。私たちは常に宇宙から降り注ぐ放射線を浴び、また、飲食や呼吸に伴って放射性物質を体内に取り込んでいます(図1)。医療現場では検診や治療に、農業では品種改良や野菜の発芽防止などに、その他にも工業や研究の現場で、放射線は利用され、現代社会に幅広い恩恵をもたらしています。

(図1.身の回りの放射線、環境省HPより¹)

図1中の「シーベルト」とは放射線が人体に与える影響の強さを表す単位です。放射能または放射線の強さを表す単位には「ベクレル(Bq)」と「シーベルト(Sv)」があります(図2参照:他に「グレイ(Gy)」という単位がありますが、ここでは割愛します)。ベクレルは放射線を出す側の単位であることに対し、シーベルトは人体に与える影響の大きさを表しています。

(図2.放射能と放射線の単位 日本原子力研究開発機構HPより²)

具体的な例を挙げて考えてみましょう。

(1)食品中にはカリウム40や炭素14といった放射性物質が含まれており、1㎏当たりで肉や野菜は100ベクレル、ホウレンソウは200ベクレルの放射性物質を含みます³。これらを摂取することで年間約0.99ミリシーベルトの内部被ばくを受けています。それでも胃のX線検診を一回受けるよりも低い程度の被ばくです。

(2)飛行機に乗ると、高い高度を飛ぶことで宇宙から降り注ぐ放射線の影響をより強く受け、日本から欧米へ往復する場合で0.1ミリシーベルト程度の被ばくを受けます⁴。

放射線は生物の細胞内のDNAを傷つけます。しかし細胞には自己修復機能があり、傷ついたDNAは日常的に修復されています。

身近な営みの中で、思った以上に放射線の影響を受けており、また、体内では常に放射線の害に対する修復機構が働いていることがイメージしていただけたでしょうか。

参照:
(1)放射線による健康影響等に関する統一的な基礎資料の作成(環境省)
(2)放射能と放射線の単位(日本原子力研究開発機構)
(3) 放射線は身近なものって本当?(ほくでん)
(4)航空機搭乗者の被ばく線量(原子力百科事典 ATOMICA)

原発の汚染水と処理水

2011年3月、東日本大震災の強い揺れと津波によって、福島第一原子力発電所は外部電源も非常用電源も機能しない全電源喪失に陥りました¹。このため核燃料を冷却するための注水ができなくなり、原子炉内の温度は上昇し続け、核燃料が自らの熱で溶け出す炉心融解(メルトダウン)が起こりました。今も福島第一原子力発電所の1~3号機の原子炉内には、溶けて固まった核燃料が残されています(燃料デブリ)² ³。これを冷却するために水をかけ続けており、そうして燃料デブリに触れた水には高濃度の放射性物質が混じり、また、建屋内に入り込む地下水や雨水も混入します。このようにして生じた高濃度の放射性物質を含む水を、汚染水と呼びます。

汚染水は複数の段階で浄化処理され、発電所内のタンクに貯蔵されます⁴。まず、放射性物質の大部分を占めるセシウムとストロンチウムがセシウム吸着装置によって除去されます。次に多核種除去設備(Advanced Liquid Processing System;ALPS)によって、62種の核種(詳しくはこちら)の除去が行われます。こうして浄化処理された水を処理水と呼びます(図3)。

(図3.汚染水の浄化処理 東京電力HPより⁴)

ALPS処理した水にも放射性物質がまだ残っているという意で「汚染水」と呼ぶ方もいらっしゃいますが、ここでは混同を避けるためにセシウム・ストロンチウムの除去処理が行われたものを「ストロンチウム処理水」、ALPSで処理されたものを「ALPS処理水」とします。

こうしてALPSによって処理された水からは、大部分の放射性物質が除去されています。しかしALPSによっても除去できない放射性物質が、処理水にはまだ高濃度で含まれています。それはトリチウムと呼ばれる、水素の仲間です。次の章ではトリチウムの性質について見ていきたいと思います。

参照:
(1) 福島第一原子力発電所事故の概要(日本原子力文化財団)
(2) 廃止措置を進めるための取り組み(日本原子力文化財団)
(3) 処理水ポータルサイト(東京電力)
(4) 汚染水の浄化処理(東京電力)

トリチウムとは

トリチウムとは、日本語で三重水素とも呼ばれる、水素の放射性同位体です。宇宙から降り注ぐ宇宙線によっても自然に生成されるため、自然界の川や海、雨、水蒸気、それに水道水の中にも存在しています。トリチウムが発する放射線はβ線と呼ばれる種類で、エネルギーが弱く、紙一枚で十分に防ぐことができます。

ここで、放射線が人体に与える影響を思い出していただきたいと思います。一般的に放射線は細胞の中にあるDNAを傷つけますが、トリチウムが発するβ線に関してはエネルギーが弱いため、人間の皮膚を透過することができません。そのため、体外に存在するトリチウムは人体(生物)にとってほとんど無害であると言えます。

体内に入った場合はどうでしょうか。トリチウムは主に水の形で存在していますが、一部は有機物を構成する有機結合型の形で存在します。有機結合型を経口摂取すると、水の形で存在するトリチウムに比べて、体内に長くとどまるため2~5倍の健康への影響があると言われています¹。しかし上述の通りトリチウムが発する放射線は元々エネルギーが弱いため、その2~5倍と言っても決して大きな影響を与えるとは言えません。

トリチウムは生態系の中ではどのような動きをするでしょうか。過去、公害を引き起こした重金属イオンなどは生物の体で濃縮されました。しかしトリチウムは多くは水として存在し、水と同じ挙動を示すため、特定の生物や臓器に濃縮されることは無いと考えられます。実際、海洋生物環境研究所により、東日本海域の様々な魚種1400個体の体内のトリチウム濃度が調査され、特定の生物において濃縮されていないことが確認されています²。

参照:
(1)安全・安心を第一に取り組む、福島の“汚染水”対策③トリチウムと「被ばく」を考える(経済産業省 資源エネルギー庁)
(2)平成28年度海洋環境における放射能調査及び総合評価(海洋生物環境研究所)

まとめ

▽放射線は身近にあり細胞は日常的に放射線の害の修復を行っている
▽処理水は放射性物質を高濃度で含む汚染水を浄化処理したものである
▽処理水ではトリチウム以外の放射性核種は基準値以下まで取り除かれる
▽トリチウムは自然界にも存在し、生物にとって害はほとんど無い

原発の汚染水・処理水とは何か、そしてそこに含まれるトリチウムとはどういうものか、ご理解いただけたかと思います。後編では処理水の処分を巡る諸課題を整理したいと思いますので、後編もご一読願えれば幸いです。

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