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雇い止めと任期付き研究者問題

こんにちは。イリノイ大学の山田かおり(@KaoriYamada01)です。ネット記事用に書いたんですけど、研究界隈に特化し過ぎた話題なので一般受けしないからボツってしまったので、Noteで公開しますね。記事用だからちょっと文体は固いです。


海外で働いていると、日本は大丈夫か?などと同僚に聞かれることもある。彼らが日本を心配しているのは、かつての日本が科学立国として優れた研究成果を発表し、多くのノーベル賞受賞者を輩出していたこと、日本からくる研究者が概ね勤勉で真面目で優秀だったことが記憶にあるのだろう。とはいえ、日本の研究力の低下はサイエンス誌でも心配されるほどである*1。また理化学研究所(理研)の雇い止め問題はサイエンス誌*2とネイチャー誌*3で取り上げられるほど、海外在住の人達には衝撃だったし、理解し難かった。本稿では雇用と任期に焦点を当てて論じたい。

■雇い止め問題

雇い止め問題はなにも研究者に限った話ではない。むしろ多くの職種で全国的に起こっている。2014年に労働契約法が改正され、「同一の使用者との間で、有期労働契約が通算で5年を超えて反復更新された場合は、労働者の申込みにより、無期労働契約に転換できる」ことになった*4。これが厄介で、無期契約にしたくない雇用主が5年の期限の前に労働者との契約を更新しないこととする、もしくは離職を促すという、いわゆる「雇い止め問題」が各地で発生した。

そもそも雇用形態に正規雇用(正社員)と、非正規雇用(契約社員、派遣社員、パートタイムなど)があるのは致し方ない。確実に今ある収入の規模を今後も確保できるとは限らない以上、無期雇用である正社員を定年まで雇い続けることと、余裕のある時には非正規雇用の働き手を追加して仕事の効率をブーストすることは理にかなっている。それは雇う側の理屈であって、雇われる側としては安定した雇用が望ましい。5年たてば無期雇用に転換したいと考えるのが自然であろう。無期労働契約への転換は労働者の申し込みによるため、労働者が言い出さない限り、有期契約の更新、更新を永遠に繰り返せばそのまま非正規雇用のまま定年まで働き続けることは理屈の上では可能だ。だが実際には、無期転換を言い出される前に、と5年の期限の前に雇い止めが起こる。これが合法なのか違法なのかは各ケースによって異なるだろうし、どっちの側にも弁護士の相談サイトがあるので、困った方はそちらをご参照されたい。

研究者の場合は研究には時間がかかることから10年の期限となっている。理研、産業技術総合研究所(産総研)、東北大学、東京大学など、各地で期限付きの研究者たちが2023年の春に契約が終了する危機を迎えている。これらの研究所や大学は海外でも高く評価され、優秀な研究者達が集まっていると知られている。そんな選りすぐりがなぜ雇い止めに?というのが衝撃を持って受け止められた*2, *3

■任期付き研究者

雇い止めのリスクが常に伴う、任期付き研究者の割合が近年増え、特に40歳以下の若手研究者で顕著である*5。特任教授、特任准教授、特任助教といった、一定の期間特定のプロジェクトを遂行するために雇用された任期付き教員も増えた。彼らは例えば3年ごとの更新で9年まで働き続けることができたとしても10年の壁を超えられるかどうかは場合による。

最初から期限があるとわかっていたのなら、仕事をまとめて次を探す準備ができたのでは?そもそもなぜ特任の職に就いた?それは任期なしの職に就くのは難しいからだ。任期なしの求職が出ることはまれであり、誰もが殺到するから競争率が跳ね上がる。とりあえずその場しのぎで特任の教員職についても、次もまた競争率の高い厳しい戦いとなる。会社員なら無期雇用の正社員もあるのに、なぜ研究職はこうまで無期雇用の職に就くのが難しいのだろうか。

「万年助手」という言葉がある。今でいう助教が、かつては「助手」と呼ばれていた頃、博士課程を修了してすぐ終身雇用の助手になることもあったし、博士号取得見込みで早めに助手を始めることもあった。その頃は助手→助教授→教授と段階を経て上がっていくことが期待されていた。教授が退官すると助教授が研究室を引き継ぐこともあったが、外から新しく教授が就任することもある。教授のテーマに沿って研究室が動く講座制では、教授のテーマに寄せて助教授、助手がテーマを変えるか、もしくは居づらくなれば外にポジションを探すことになる。教授が部下の助教授や助手も引き連れて就任したい場合はなおさら、元からいた助教授、助手はなおさら外に出るよう圧力をかけられるだろう。だが終身雇用の教員を辞めさせることはない。たとえ外にポストを見つけて移動することができなくても、辞めさせることはできない。とすると停滞してしまう。「万年助手」という言葉が広まった割に「万年助教授」という言葉を聞かないのは助教授くらいになれば独自性、独立性を出して他にポストを見つけて移動できたのかもしれないが、いずれにせよ万年助手の停滞が過去には暗い影を落としていた。

停滞を忌み、流動性を上げるべく、平成9年(1997年)法律第82号『大学の教員等の任期に関する法律』で大学教員の任期を科すことが可能となった*6。選択制任期制であり、どの職務を任期付き、どの職務を任期なし(無期雇用)にするかは各大学の裁量にまかされたが、平成19年(2007年)と平成25年(2013年)とを比べると任期付き研究者が特に若手に増加していることがわかる*7。令和1年(2019年)になっても平成25年のデータとほぼ変わらない*8

世代間の不公平感から任期付き研究者問題はたびたび議論になる。すなわち独立法人化前に無期雇用だった当時の助手は助教に変わっても無期雇用になるケースもあり、万年助手がそのまま万年助教になり、定年まで逃げ切れることもある。無期雇用助手から任期付き助教か、無期雇用助手(この場合教員扱いではなく、研究補助員に近い、実質降格となる)の選択をさせた大学もある。任期なし助教授はそのまま任期なし准教授、任期なし教授はそのまま任期なし教授となった。

若手は研究者としての資質を試され、勝ち残ったもののみが任期なし雇用の安定を手に入れられる。准教授や教授はすでにその水準をクリアしているから任期なしでいい、という話は一見理にかなっているように見えるが、実質、昔の水準と今の水準を比べると今のほうがはるかに厳しく、若手にばかり高い水準を求められているという点は否めない。

■テニュアトラック制度

一定の水準をクリアするかどうかを求められるシステムは、そもそもアメリカにあり、日本には、平成23年度(2011年度)からテニュアトラック普及・定着事業が実施され、導入された。科学技術振興機構によると「公正で透明性の高い選考により採用された若手研究者が、審査を経てより安定的な職を得る前に、任期付の雇用形態で自立した研究者として経験を積むことができる仕組み」とあり、文部科学省が補助するテニュアトラック制は博士号取得後10年以内の若手研究者が研究主宰者(PI)となる場合を対象としている*9

テニュアトラック制を採用する大学は増加したが、テニュア審査を経た後の職階は各大学の裁量の任されており、テニュアトラック(任期あり)助教から、審査後にテニュア(任期なし)准教授に昇進するケースもあるが、テニュア(任期なし)助教になるケースもある*10。これでは万年助教のままではないのか?給料も裁量も助教のままでは限りがあるため、准教授になるためにはまた就職戦線に戻り、テニュアトラック(任期あり)准教授として審査を待つ身となる。

2011年には意気揚々とテニュアトラック制度を普及させようとした政府が、2017年には『次代を担う研究者をめぐる危機』として若手教員の減少、任期なし教員ポストのシニア化、若手教員の任期なしポストの減少と任期付きポストの増加を挙げているのは興味深い*11。アメリカの真似をしてはじめたテニュアトラック制度が、思ったようにいっていないのだろうが、なぜうまくいかなかったのだろうか。

■アメリカのテニュアトラック制度

日本とアメリカの違いを考察するために、アメリカのテニュアトラック制度についてみていこう。

アメリカの大学では博士号取得後のキャリアはまず、ポスドク研究員から始まる。Postdoctoral Fellow、Postdoctoral Research Associateなど呼び名はあるが、いずれもnon-tenure-trackである。Assistant Professorに上がる前にLecturerになることもあるが、これもnon-tenure-trackであり、審査を受けて上に上がるようなシステムには乗っていない。Lecturerは日本の講師とは異なり、ポスドクとAssistant Professorの中間にあたる。Research trackと呼ばれるnon-tenure-trackがある大学もあり、research assistant professor、research associate professor、research professorと職階があるが、研究専門職であり、無期雇用ではない*12

通常Assistant Professorからが独立した教授職である。優秀で大学院生時代に優れた研究実績を積めば即Assistant Professorになるケースもあるし、紆余曲折を経て50代半ばになるケースもある。Assistant Professorはテニュアトラックであり、審査を経てテニュア(任期なし)であるAssociate Professorに上がる*12。大学によるだろうがAssistant Professorの任期は7年、数回の中間審査を経て、最終的に本審査に送るだけの業績等条件がそろったと思えば分厚い書類を提出する。学科での推薦・投票、学部での審査、キャンパス、大学での審査と何段階もの審査をクリアしないとAssociate Professorには上がらない。審査の概要とどう準備をすればよいかは説明会も開催されるので、テニュアトラックに乗った段階で準備を始める。通常、1) 教育、2) 研究業績(論文)、3) 研究費獲得の3点を重点的に審査される。Associate Professorは大学のテニュア(任期なし)の教員となるため、この人が本当にふさわしいか?ずっと大学にいてもらっても大丈夫か?学生に指導する力量があるか?と厳しく審査される。

Associate ProfessorからProfessorへの昇進は、上記3点に加えて、国際的に認知された活躍をしている研究者であること、となっている。国際的な学会からの招待講演や、世の中にインパクトを与え数多く引用される論文など、ここでも学科、学部、キャンパス、大学と何段階もの審査を経て昇進する。テニュアの審査も教授への審査もそうだが、学科レベルならコネで押し込めても、学部、キャンパス、大学と審査が進むと当然、認識のない審査員が審査をすることになるので、客観的に見て説得力のある業績・実績が必要となる。

日本のようにテニュア審査を経たのに任期あり・なしの違いだけで同じ職階ということはなく、審査にクリアすれば必ず職階は上がる。審査をクリアするのは8割と言われているが、もちろん超難関大学ではもっと厳しい*13。テニュア審査に落ちた場合、任期ありではあるが研究専門のResearch trackに移り、更新を繰り返しながら研究を続けることができる場合もあるし、他の大学のテニュアトラックAssistant Professorに応募して再度やり直すこともできる。また、キャリアの途中でアカデミアの厳しさに嫌気がさしても、企業研究職など引く手数多だ。そしてテニュアトラックには年齢制限はない。研究歴に見合う業績があるかどうかは当然見られるが、再度他大学のテニュアトラックでやり直す際に、大学の難易度を下げて最終的に安定した職を得ることもできる。

また、テニュアトラック教員に採用された時点で、審査に通りさえすれば終身雇用をするだけの予算を確保して採用されている。人によって違うが3000万円から3億円ほどのstartup fundingと言われる研究室立ち上げ資金が与えられる。これを使って機器の購入やポスドク研究員や研究補助員の雇用などを行う、仕事が軌道に乗るまでの補助である。startup fundingがある間に、2億7千万円ほどある研究費を取ってくることが期待されており、そのうち1億円を間接経費として大学が回収できるのだから、いわば優秀な研究者に対する投資である。テニュア審査に通るような教員は生涯にわたってそのような研究費を何度も取り続けるのだから(逆に言うと研究費を取り続けられないとテニュア教員にはなれないのだから)十分に元が取れる投資だ。審査に合格する数が限られているということもなく、純粋にそのテニュアトラック教員がテニュアにふさわしいか否かで判断される。

日本のテニュア審査はどうだろうか?テニュアトラック助教からテニュア准教授に昇進するにしても、数が限られていてポストの奪い合いとなるケース、そもそも状況が変わって昇進先のポストがなくなり、テニュアへの期待をさせるだけで終わるケースがあるとも聞く*14

日本とアメリカの大きな違いはいくつもあるが、アメリカは1)テニュアトラック教員の最初のサポートが厚いため全力を発揮した上で審査を受けられる、2)他のテニュアトラック教員との競合ではなく各候補者が審査される、3)キャリアの他の選択肢が数多くある、4)他の選択肢を選んで更新を繰り返す任期付き研究職となっても安定して定年まで働けるし正規雇用であるので福利厚生も充実している、5)年齢制限がなく、他大のポストを探すこともできる。日本ではこういった手厚いサポートなしで、表面上だけテニュアトラック制を取り入れた結果、様々な齟齬が出ているように見受けられる。

■研究者の海外流出

さて、特任教員職やテニュアトラック教員職など任期付きの研究職でも募集は少なく、なかなか終身雇用に至らない日本では、研究者はどうキャリアを構築すればいいのか。冒頭の理研や産総研や様々な国立大学でまさに起きようとしている雇い止め問題においても、次のポストを見つけられる人はいいが、厳しい競争の中、それも容易ではない。

そんな時、海外にポストがあったらどうか。最近話題になった、上海でのポスドク5157人募集(最高年収1400万円)*15など、海外では研究職は引く手数多だ。アメリカや欧州のみならず、中国、台湾、韓国、シンガポールなどにも魅力的な研究所・大学は多数あり、いずれも厚待遇で研究者を採用している。ポスドクのみならず、アカデミア教員、企業研究者の募集も多数ある。研究者が移る国によっては、「売国奴」などと罵られるが、そもそも日本には職がないのだとしたら、生きていくために働きたい、研究を続けたいと思ったら、海外も視野に入れるだろう。

研究者はどの国にいようと、研究成果は国際雑誌に発表する。国際的な特許を取ることもあるし、企業と共同研究を市場に出すこともあるが、どの国にいようともやることは変わらない。日本との共同研究を続けることもできるだろう。もちろん国民の税金からなる研究費を使って研究を行う以上、筆者のいるアメリカの場合、基本的にはアメリカ国民の健康の向上のための研究を行うが、病気は世界のどこでも起こるのだから、ひいては全世界の人達の健康向上のためでもある。どこの国に行っても、研究者がすることは社会に貢献につながる研究だ。すぐには実現化しなくても、科学知識の蓄積がいずれ世の中を動かし、どこかで誰かの役に立つ。

研究者の海外渡航については、中期長期派遣型研究者が平成12年(2000年)をピークに減少したことから、内向き志向、すなわち日本国内に留まる傾向があると思われていたのだが、実際は2000~2007年度に海外に長期滞在している日本人研究者は確実に増加しており、派遣ではなく海外で直接雇用され、そのまま流出していることが示された*16。北米が最も多いが、西欧やアジア、各地でアカデミアや企業など様々な職で活躍する日本人は数多い。

博士号の利点は、どの国に行っても通用すること、ビザ(入国のための査証)の取得が容易であることである。現地で平均的な人を採用するよりも優れた人材であると示せれば、ビザを発行してでも渡航してきてもらう意味があるからビザが出やすくなる。博士号や論文業績はわかりやすい指標となるので、どの国でもビザの取得は容易だ。またポスドクやアカデミア教員、企業研究者だけじゃなく、学士や修士を持った研究補助員職でも、簡単にビザが出る。多くの場合日本よりも給料が高く、フルタイムの正規雇用で、福利厚生もしっかりしていて年金も手厚い。ビザの種類を切り替えつつ永住権を取得して定年まで働くこともできる。

頭脳流出した日本人研究者が帰国を希望しない理由の調査は政府も行っているが*17、実のところ、頭脳流出を止めようとか呼び戻そうという積極的な施策は行われておらず、対して気に留めていないのかとも思う。海外のどこで研究をしようが研究成果は国際雑誌に発表するし、ノーベル賞受賞者が日本国籍を捨ててアメリカ国籍になっていても、日本人が受賞した!と大々的に宣伝して褒め称えるのだから。

■人材を失うことによる影響

では研究者が海外に流出しても全く日本に痛手はないだろうか。研究者が「研究」を行う上では痛手はない。だが研究者の大きな仕事として「教育」がある。時代の研究者の育成や学生の指導だ。講堂で行う授業だけでなく、研究室に配属されてからの密度の高い研究指導がある。海外のアカデミアにいると、当然、学部生も、大学院生も現地のその大学の学生である。アメリカではアメリカ人のみならず諸外国から学生を受け入れているが、アメリカに行ってまで博士号を取得する日本人は、諸外国に比べても少ない*18

海外では優れた研究者を招聘しようと虎視眈々と狙っている。前述のアメリカの大学のテニュアトラック中でも、テニュア審査のために優れた業績を上げた教員がヘッドハンティングされて他大学に栄転していくことも珍しくない。アカデミアに限らず企業でもそうだが、転職にも移動に忌避感は全くなく、条件が良ければいくらでも移動する。移動先が豊富にある。そうすると手離したくない人材ならば手厚く扱われたりもする。

研究者に限らず他の職でもそうだが、日本ではその人材の実力や優秀さを十分わかっていながら、非正規で雇用し続けたり雇い止めをしたりするケースがよくある。結局予算がないからなのだろうが、長い目で見るとなにか大きなものを失っていないだろうか。


参考文献
1.    Japan tries—again—to revitalize its research
2.    Mass layoff looms for Japanese researchers
3.    ‘I feel disposable’: Thousands of scientists’ jobs at risk in Japan
4.    厚生労働省|労働契約法改正のポイント
5.    文部科学省 日本の研究力低下の主な経緯・構造的要因案(参考データ集)
6.    平成九年法律第八十二号『大学の教員等の任期に関する法律』
7.    2015年『大学教員の雇用状況に関する調査』
8.    2021年『研究大学における 教員の雇用状況に関する調査』
9.    科学技術振興機構 テニュアトラック普及・定着事業
10. 文部科学省 テニュアトラック制の概要
11. 次代を担う研究者をめぐる危機 - 文部科学省
12. Academic ranks in the United States (Wikipedia)
13. Tactical tenure manoeuvres, Nature volume 508, pages421–423 (2014)
14. 赤煉瓦 2007年度第18号 - 熊本大学教職員組合
15. 上海、ポスドク5157人分の求人情報を発表 最高年収1400万円
16. アカデミアに所属する研究者の海外流出に関する実態の分析
17. 海外に移った日本人研究者
18. 令和4年版科学技術・イノベーション白書 第1章 我が国の研究力の現状と課題



…以上です。さて、投げ銭的に有料設定をしてみますが、実のところ全文無料で読めます。有料ゾーンの中にはなにも有用な情報はないです。読了ありがとうございました。
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