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utopia

 明日世界が終わるとして、あなたは何をするか。

 クラスメイトたちが口々にその問いに答えを出す。でも「〇〇を死ぬほど食べる!」とか「死ぬ前に行きたいと思ってた国があるんだー」とか、出てくる答えはそんなことばっか。いざそんな状況になったらなんて、ろくに考えていないみたい。ここは、私たちの生きるこの世界は、そんな「理想郷」じゃない。前の席の人が考えを言い終える。次は私の番。明日世界が終わってしまう状況で、絶望して、どうでもよくなって、そして……。

「私は、そんな状態になったら、多くの人がいわゆる犯罪者になるんじゃないかなと思います」

教室の空気が一気に固まるのが実感できる。何言ってるんだこいつって、きっと思われてる。私も正直そう思う。別に言わなくてもよかったことなのに。心の奥で勝手に思っておけばいいのに。仮面は案外簡単に剥がれた。

「どうしてそう思うの?」

先生の声は、それこそ本当に疑問のみで構成されていた。でも先生だって、分からないって思い込みたいだけでしょ。

「だってどうせ明日にはみんな死んでしまうんだもの。みんないなくなるなら刑法なんて機能しない。ならきっと、それじゃあ人を殺してもいいやって、なっちゃうと思うんです」

また教室中が静まる。多分正当な反応なんだろうな、これが。

「でも最後の日にわざわざ人を殺す必要はないんじゃないか? 楽しくなんかないことだし」

誰かが震えながら、言葉を出す。私の列の1番前の席の学級委員くん。本当に強い子、君は。でもさ、こんなこと言いたくはないけど……。

「あなたは人を殺したことないでしょう。だから楽しいか楽しくないかなんて、分からないと思うの」

「あと、『最期』だからこそ、普段自分たちが出来ないことをしたくなっちゃうんじゃないかなって」

 大学のラウンジで友人と2人空きコマの暇を潰す、水曜日の午後3時。友人の何気ない質問、「明日世界が終わったら何をするか」から小学生の頃のことをふと思い出した。話の種にするにはあまり面白くないけど、その前置きに反して友人は終始興味深そうに聞いている。

「でもさー。それって質問にはちゃんと答えてなくない?」

「小学生だったからね。私も」

それが理由ではないと思うけど、恥ずかしいのでそういうことにした。冷めた子どもだよなとは思う。でもきっと、未だに根っこの部分は変わっていないだろうから。うん、あの時の自分を否定することはできない。

「因みに、今だったらどう答える?」

「今だったら、かぁ」

今だったら、私は? この世界は「理想郷」じゃない。あの時の私が言う通りの世界に、きっとなる。それでも……。

「私は生きたいな。何をしたとしても」

友人は相変わらず、いやさっきまで以上に、私のことを興味深そうに見る。彼女はこう言うことを言っても、それに賛成か反対かは置いておくとしても、一応受け止めてくれるから好きだ。

「仮面を被っても、手を出すことになったとしても、最後の最後まで生きたい」


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