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【二部作】グラデーション

 泣いた。いつも通りスマホのレンズを向ける君を見て、思わず泣いてしまった。その理由をひと言で表すのは難しく感じるけれど、きっと自分は、安心したのだろう。そう思っている。

 中学生の頃の担任は、酷く理不尽な人だった。簡単に言い表すのであれば、訴えたら多分勝てるくらいの理不尽さ。理由はよく分からないが、自分はその人に目をつけられていた。だからとにかく耐えるしかなくて、今となっては辛かったってことしか思い出せない。そしてそんな生活が1年半ほど続いていた時、遂に限界がきてしまった。あの時の心情とかそういったものは、どこかにしまったままなくしてしまったけれど、事実だけ話すと自分はその人を思いっきり殴ってしまった。実はその人のやっていたことは他の先生たちにも知られていたから、退学にはならなかったけれど、その後暫くの間病院へ送られた。

 病院での記憶も、正直なところあまり残っていない。覚えているのは、そこの大人たちが妙に優しく感じられたこと、そしてザラザラとした後悔の感触。誰かと会うたびに、他の人と違って自分は真っ黒に染まってしまったような気がして堪らなかった。中学校に戻ってからは、まるで自分なんていなかったかのように避けられた。それまで仲の良かった人も自分のことを避けていて、疎外感を感じずにはいられない。自分は孤独だった。勿論その原因は自分にある訳で、彼ら彼女らを責めることは出来ないのだけれど。

 高校に入学してからは、幸いなことに避けられることはなくなった。その事件を知っている人が誰ひとりとしていなかったからだ。ただそれだけではあったが、間違いなく中学校の頃よりもいい環境だったと思っている。しかし何故だろう、自分は不安を感じずにはいられなかった。同じようなことが起こってしまうかもしれないことを。また避けられてしまうかもしれないことを。自分が悪いことを知っているから、余計にそう思ってしまう。だから、優等生を演じることにした。愛想よく振る舞って、なにごとも穏便に、それこそ再び同じ轍を踏まないように徹した。でもそうしているうちに、どんどん自分が孤独な気がしてきて、ただこれはどうしようもないことで、きっと自分なんて汚れた存在だから誰かと一緒にいることだって赦されていないから……。

 だから君がいてくれることが嬉しかった。君のそばでは自分も笑顔になれるのが、本当に幸せだった。

 今日も君はスマホのレンズをこちらに向ける。よく飽きないよなぁ、と少し思ったりはするが、それでも君が凄く楽しそうにしているから自分もとても嬉しい。シャッターを切る音が響く。凄く眩しい。眩しいんだけれど、この真っ白な光がちゃんと自分に届いて照らしてくれるから、孤独と不安に染まった真っ黒な心も浄化されていくように感じてしまう。

「今日はいつもよりも楽しそうじゃない?」

眩しくて堪らないよ、スマホを持つ手を首くらいまで下ろして君はそう言う。

「そうかな、俺は普段通りだよ」

涙の跡はもう消えているけど、君の前で自分はちゃんと泣けたんだって思ってる。それはとてもいいことなんだけど、それなら笑いたい時はちゃんと笑っていたい。少なくとも君のそばでは。

「たまにはさ、俺も写真撮ろうかな」

スマホを君と自分の視線で挟む。驚いたような顔をした後で少し恥ずかしそうにして、そして君はぎこちなく笑った。カメラレンズ越しだからだろうか、いつもより鮮明に君が見える気がする。普段スマホに隠れて顔が見えないからだとは思うけど、そういうことじゃなくって……。

「やっぱり、安心しちゃってるんだよ」

小声で呟いたから、きっと君には聞こえていないけど、誤魔化したくなってカメラのシャッターボタンを押した。


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