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病は気から

この年の瀬のある日に仕事してるとサラサラ鼻水がよく出るし、鼻声だし、咳も出るダルさもある。なんとか怒られずに仕事をこなし、帰宅して熱を測ってみると37℃を超えていた。しかし、味覚や嗅覚が安定しているため恐らく鼻風邪と見ていて、様子見で内服液と解熱鎮痛剤でしのんだ。発熱は久方ぶりだが、心の不調だけでまさかここまでなるとは。

叱られて

バイトをしている中で書類の書き漏れや不注意や非効率なことでリーダーから厳しいトーンで指摘されるのが続いた。その結果、怯えて思い詰めるようになり、家の他、名古屋、神戸方面の旅先でも持ち込んでしまい、「発達障害」「アダルトチルドレン」のワードの検索や関連するワードを列車でよく検索していた。おまけに喋る人が誰1人いないままオフを過ごし、不眠や息苦しさにも悩んだのが体に現れてしまったようだ。「病は気から」とはまさにこういうこと。

耐性が弱い

今に始まったわけではなく、元々厳しい言葉やトーンに対して耐性が弱い。両親に対しても勉強や運動不足、勝手な行動をして用水路に落ちて叱られたなどで恐怖を感じるようになったし、人間関係でも、「絶交」「無能」などネガティブワードを受けてきた過去がある。その上、放置することも多数で親や先生に怒られる度に「怒られないようにしないと」と言う気持ちが芽生え、自分を責める以外何も学ばなかった。

落ち込んでも誰も誘えない

その名残みたいな形で今でも落ち込むことは多数あるし、病んでると誰も近寄らなくなるのは厄介だ。「じゃあ自分からいけよ」と言われるかもしれないが、地元、大学問わず、最低でも1年以上、中学生以前の人に至ってはコロナ流行後は一度も会ったことある人がいない。もうこれしか方法はないが、誰を誘えば良いのやら。

気をつけても

それはさておき、健康は自分一人ではどうしようもないこともある。デリバリーに頼らず、野菜や味噌汁食べてようが、節酒、非喫煙だろうが、心のゆとりがないことには健康では過ごせない。実際、いろんなこといろんな人やことに対して積み重ねてきた我慢は枚挙に暇が無いし、高校時代には心を病んだ後にインフルで寝込んでしまったなんてこともあったほど。

自己完結が仇

何でもかんでも自己完結でやってしまいがちだが、ついにこういうところも仇になってしまった。健常とはいえ、なかなか「対人恐怖」が抜けない現れだと思う。それでも、明るいトーンなら頑張れたりする。もっと他にええ場所探そうにも、目標が無ければ、むやみやたらにやるもんじゃない。それに何を目指したいのかも分からない。なんとなく岐路に差し掛かって感あるし、僕は来年20代を折り返すわけだ。周りに左右されたくはないが、自分が無い。堂々巡りしそうだ。

翌朝は平熱に戻りはしたが、鼻水と軽い咳が続いたので欠勤することに。電話口で悩ましくコロナを疑われたが、「数日熱続いたら病院行きやぁ」ぐらいでとりあえず様子見となった。1人ではまた悪化しそうで少し動けそうなので実家に戻ることにした。記事としてはこういうので今年を締めるわけになってしまったが、サムネにある「ウルトラゾロ目」な電車にも出会えたわけだし、「来年こそ良い年を」と思いは捨ててない。次こそは…

ではよいお年を。

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