僕と文化祭
この記事きっかけに見つけて綴りたくなった。コロナで久方ぶりに開催される学校が多く、動画上映やマスクデコなど今どきらしい出し物をしているのをこないだテレビで見た。一方で僕自身は中学と高校で経験していて、大きな思い出もあったりする。
中学時代
中学時代、学年ごとの演劇を中心に、コピーバンドや漫才など様々。外部から「パントマイマー」僕と同じ字出身の「盲目ピアニスト」などプロの技を見るというもあった。僕は裏方以外特に何をしたわけでもなかったから、記憶は薄い。
高校時代
高校になると、体育祭込みで3日間通しでやっていた。1日目は校舎内で教室でいろんなアクティビティなどがあったり、校庭で模擬店、コピーバンドやギターとボーカルで弾き語りデュオなど中学より盛りだくさん。2日目の体育祭を挟んで、3日目は高校から少し離れた米原市の「県立文化産業交流会館」というイベントホールを貸し切ってやっていた。フェスやみんなが知ってる大物アーティストのライブでも使用される大ホールというなんとも至れり尽くせり感。
特に目玉だったのが『Team Split』略して「TS」。いわゆるクラス全員でダンスを披露するというものだ。2年3年は衣装が奇抜だったり人によって違うなど見ていても楽しかった。
バンドやりたかった
ここで僕はギターをやって「KANA-BOON」のコピーバンドをやって、告白して振られたことを見返そうとしたが、親に言うのが怖くて始めたのが遅く、誘うことができず、やらずに後悔してしまった。でも、やり始めたことで大学で軽音をやる理由になって本格的にやる下地になったことは大きい。
写真撮ってたら
普段僕から「写真撮ってぇ」なんて言うことはほぼ無いが場の楽しさにノって同期の友人や部活仲間とたくさん写真を撮ったのは良い思い出。おまけに、同期の女子2人組からも写真撮ってと言われたのだが、名前と顔だけしか知らない、クラスも一緒になったことない初絡みの2人で「何で僕に声かけたんやろ…」とちょっとびっくりで謎だった。その後、インスタやツイッターで相互フォローしたが、今でも分からないし、これっきり喋ることはなかった。
最後の思い出にて
そして、一番の思い出は高3の頃。高校統合前の最後の思い出として、理科系担当でアメフト部監督「T先生」発案で体育部男性陣で応援団をやろうということになった。その序盤で学校への思い、メッセージを叫ぶことになって募り、僕と他2人が立候補した。本番では緊張のあまり噛んでしまい、後からツッコまれてしまったが、告白失敗、成績不振、嫌な人への言いなりになってばかりの人生、ツイッターによるバッシングなど闇のようにイケてなさ過ぎた高校生活で輝きやかっこいいが欲しかったのと少しでも見返したいなどの思いを叶えた。ええ感じに応援団本番に接続して、僕は本気で上手く手を振れた。企画してくれたこの先生には今でも感謝して止まない。
文化祭に対する思い出は人さまざまだが、僕個人としては高3を筆頭にいい思い出が意外にあったりする。今の子たちはなかなか経験できないものではあるが、一生もので「やって良かった」と心から思える思い出を作ってほしいと願う。現に僕もこういう経験が少しでも活力になってるわけだし。
ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。