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4/6『眠れない夜、疲れ、同質の言葉はしかし、差異、微少が微笑する』

 ひさしぶりにほとんど眠れない夜だった。

 眠剤も飲んだ。いちおう最大量飲んだのだが、疲れすぎていたのか、だからこそ眠れない夜だった。三時間ほどは寝たようだが、その睡眠も明らかに浅く、ハイになってるのかいまは体力的にも大丈夫なのだが、昼頃には体力は尽きるだろう。でも、こういう日もある。仕方がないことだ。

 いろいろ諦めること。健康は大事だが、それにこだわりすぎるのも健康ではない。こういう日もある。自分に言い聞かせる。だいたいのことはコントロールできない。一度眠れないなあと思うとなかなか眠れない。それはもう仕方がないんだ。今日眠かったら明日は眠れるかもしれない。それでいい。長いこと不調じゃない限り、それはもう健康そのものだ。睡眠は二日間で考えればいい、そんなことを言っている睡眠学者の言葉を思い出す。
そんなものだ。なんでも一日ごとに考えるなんて、そんなこと幻想にすぎない。
 
 文章も、諦めるようになって書けるようになった。クオリティ、質をまったく思い求めてなくなった。いや、そもそも文章は、私があまりそういうものを気にしていなかった。読みやすいもの、読みにくいもの、そういう区別はあるものの、しかし読みにくい文章が好きだった。何を言っているのかわからない文章が好きだった。紆余曲折して、「で、結局なに?」ってなる文章を読むのが好きだった。名文なんて大嫌いだった。だからこそ、いまこうしてどうでもいいことを延々と書けるのだろう。誤字脱字さえも気にしない。グルーヴさえ感じれればいい。リズム。言葉の置き方。句読点の使い方。そういうことだ。漢字の閉じ方。そういうものを見てる方がたのしい。

 眠れない一日。眠剤を飲んでも何も感じない。効くときはすごい効く。身体は疲れすぎると眠れないのは何かのバグだと思う。疲れすぎると、というか、普段と違う疲れ方をすると眠れない気がする。いちばん眠れるのは、水泳をしたあとの疲れ方だ。あれは異常な眠気がある。また泳ごうか。痩せないといけないしな。

 疲れ方にもいろいろある。普段考えるときは疲れたなあ、と言うが、しかし雑な考え方なのかもしれない。もっとどう疲れているのか、これはどういうタイプなのかと、せめて三つのパターンぐらいに認識できたら、その後の行動も変えれるのかもしれないな。

 パターン化していく。そしてそれをできるだけ複雑にしていく。単純なところは単純でもいいが、案外、見逃しているところに雑味が出て、同じではないものを同化して、差異に気づけていないのかもしれないな。そんなことをいまの疲れを感じながら思う。
 今日は眠れなかったが、一日ははじまる。時間がたくさんあると思っておこう。パフォーマンスは落ちるだろう。それでもなんとかやっていこう。そういう夜もある。気づけば朝になる。そういう一日もある。すべては仕方がなく、諦めるしかないんだから。

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