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2月11日 生きる歓び

 文章を書くということ。つまりそれはどういうことなんだろう。こうやってnoteとかのサイトに文章を書いたりする人は、どちらかというと少数派なのかもしれない。ツイッターとかで軽く呟く人は多いかもだけど、あれだって140文字程度だ。ツリー機能を使っても、せいぜい1000文字くらいだろう。Instagramでも写真を載せて一言なにか文章を付けるくらいだし、それ以外はほとんどが映像系だと思うし、そもそも書くどころか、読むことさえあまりないのかもしれない。漫画は読むにしても、あれは台詞だ。そもそも何を文章とするのかも私にはわからないけど、私がイメージしているものとは違う。だからきっと、ほとんどの人は生活しているうえで、文章を読むこともしなければ、まして書くこともしない。
 それなら、私はどうしてこうやって文章を書いているんだろう。昔から書いていた、というわけではない。そもそも子どものころから本を読んでいた、というわけでもなかった。漫画本にすら疎かった。私が最初から最後までちゃんと読んだ漫画って、スラムダンクとヒカルの碁くらいだ。小説とかもほとんど読んでなかったと思う。中学生の時にかっこつけて太宰治とかを買ってきて読んだことはあった気がする。でも、ぜんぜんハマらなかったし、それなのに大学は日本語日本文学科というところにどうしてか入った。高校は理系で、なんか天邪鬼の精神が出てたんだと思う。周りは、優秀な人間は医学部に行って、それ以外は旧帝大の、農学部とか、工学部だとかに行っていた。なんかそういう堅実な人生を送ろうとしている人間を見下していた。いや、違うな。本当のところは、そもそも私は高校は不登校で、なんとか卒業できたくらいで、勉強もまったくしていなかったから、とりあえず入れるところに入った、というのが本当のところだろう。もう十年ほど前のことだから覚えてもいない。
 そうだ。私は大学生のときから本を読みはじめた。でも、それは大学に影響をされたわけではない。そもそも、大学はほとんど行かなかった。一人暮らしをはじめた私は、高校と同じように大学も不登校になった。人がとにかく怖かったから、どこにも行けなくて家に引きこもった。コンビニに行くときもずっとイヤホンをしないと買い物ができなかった。そんな状態だったから、私は家の中でできる娯楽しか楽しめなかった、だから本を読んだ。
 いや、これでもまだ正確ではない。家の中でできる娯楽は、別に本以外にもたくさんある。インターネットひとつあれば、無限ともいえるほどに娯楽がある時代だ。私はひとり暮らしと同時にスマホを持った記憶がある。だから、ゲームとかにハマっても、SNSにハマっても、YouTubeにハマってもよかったはずだ。それでも私はそのとき本を読んだ。なぜか?
 人が怖かった私は、大学に行けないくらいだから、自分の将来に絶望していた。大学を卒業なんてできるわけなかったし、ましてや、自分が仕事をしているところなんて想像もできなかった。まともに挨拶さえできない。コンビニでお弁当を買って、「温めますか?」と訊かれて「大丈夫です」と答えても、声が小さすぎて店員さんに届いておらず、困った店員さんはとりあえず温めたりしていた。そんなことがよくあった。親にも大学に行っていないことは言えない。でもいずれバレることだ。高校時代の友達がいないわけではなかったが、しかし、それぞれが別の大学に行き、そこまでして連絡をとるような仲にはなれていなかった。長崎からせっかく福岡に来たのに、私はラーメンさえ一度も食べることができていなかった。そんな風にして、あっという間に一年が過ぎて、大学に行っていないことも親にバレた。
 ずっと危機感はあった。あたりまえだ。よく言われることだが、人と話さないと、本当に声が出なくなる。たまに電話をする両親と以外話す機会がない私は、このまま自分の人生はどうなってしまうんだろうと悲観していた。そのときだった。「あれ、人と会わないで仕事をすればいいんじゃないか?」と思いついたのは。
 いま考えてみれば、それは本当に浅いというか、よくある勘違いなのだが、自己完結的でだれにも会わないで黙々とできる仕事で、それも簡単そうな、という二点を満たしているもので自分が思いついたものは、「作家」であった。それにこの「作家」というやつは、もしなれたとしたら、謎の名声もある。高校時代は周りから劣等生のレッテルを貼られ、完全な学歴コンプレックスに陥っていた私は、「これしかない!」と思い、急いでパソコンでワードを開いたものだった。
 しかし、あたりまえのことなのだが、じっさいに小説を書こうと思っても、まったく書けない。そもそも、小説というものをほとんど読んだことがなかった。「小説って、なんなんだ……?」起承転結があって、感動する物語をつくらないといけないと思った。でも、そんなことを考える能力も、文章を考える力も、まったくなかった。でも不思議と、「作家になりたい」という気持ちは簡単にはなくならなかった。たぶん、それに縋りたかったのだと思う。
 でも、私はそこでも正攻法でいくつもりはなかった。つまり、いろいろな小説を読んで小説とは何かという研究などをしようとはまったく思わなかった。世の中には「小説の書き方マニュアル」という本もたくさんあって、私はそれを何冊か読んだらすぐに書けるものだと思っていた。要は、小説なんてものを舐め腐っていたのだ。どれくらいそういう本を読んだのか覚えていないが、本屋に行って手当たりしだいにそれっぽい本を買っていった。でも、それで得られるものはほとんどなかった。ある一冊を除いては。
 有名な本で、知っている人も多いと思うが、保坂和志の「書きあぐねている人のための小説入門」という本がある。私はたくさんのマニュアル本のひとつとしてそれを買った。まさに私は書きあぐねていたし、きっとこの本も他のマニュアル本と同じく、小説を書くためのテクニックがたくさん披露されているのだと思った。だが、じっさいはまったく違った。この本には小説についてのテクニックなど書いておらず、記憶がおぼろげだが、確か書きあぐねているならたとえばピクニックに行くのがいいとか書いてあった。読めば読むほど小説がわからなくなる本だった。そもそも小説とはなにか? を問われている気がした。私はきっとその本を読んで、感動に近い感情をおぼえたのだと思う。素直に感動したと言えないのは、私が感動するという感情を正確に捉えきれていないところと、もう十年くらい前のことだから記憶が捏造されてしまっているからだ。とにかく私はそこではじめて小説というものそのものに興味を持った。だから、普通とはきっと順序が逆なのだ。小説が好きだから小説を書こうと思ったのではなくて、不純な気持ちで小説を書こうとまず思って、それから小説を読んでいった。
 まずは保坂和志の本を適当に読んでいったと思う。初期の作品であるプレーンソングとか、ちょうどそのとき新刊として出ていた未明の闘争とか。いま思えばそんなに読書をしてきていないのに、よくいきなり未明の闘争なんて小説のなかでも特殊な部類に入るものを読めたものだと思う。実家に帰る途中のJRの中で、未明の闘争をすごい集中力で読んでいたのをおぼえている。きっと自分の中で何か刺さるものがあったのだろう。そうでないと、あれだけの長さの、あのわけのわからない小説を読み通すことはできない。
 それから、保坂和志に影響されたとされている人たちの小説を読んでいった。だいたいがまず日本の作家だった。磯崎健一郎に、滝口悠生とか、保坂チルドレンと呼ばれるような人たちを読んだ。それまで読書の量が0に等しかったのが、少しずつ増えていった。そのあとに、保坂和志が影響された人たちを読んだ。小島信夫とか、ガルシア=マルケスとか、カフカとか。ちょうどその頃ツイッターもはじめたのだったと思う。読書が好きな人のアカウントを見ては、気になる本を買って読んだ。幸いにも天神のジュンク堂はたくさんの本が置いてあった。哲学とか思想とかを読みはじめたのもこのころだ。陰鬱な気分の自分は、中島義道の観念的生活という本がすごい気に行って、どこに行くにしても持って行って読んでいた時期があったと思う。そんな風にして、自分は本を読むことをおぼえた。
 でも、それからすぐに書くという風にはならなかったと思う。というか、最初の目的はすっかり忘れてしまっていた。自分は人が怖いから作家になりたいという甘い考えはどこかに行き、本が好きだから本を読む、そんな感じになっていた。もちろんあいかわらず人は怖くて、大学はやめることになり、実家に連れ戻された私は、精神科に通院しながら治療をしていた。不安障害と双極性障害という診断をされた私は、立派な精神障碍者になった。それからバイトをしてみたりしたが、やはり人が怖いので続かなかった。いま思えばはじめてバイトしたコンビニである、セブンイレブンの店長は本当に良い人だった。あそこで続かなかったのだから、あのときの自分はなにをやってもダメだっただろう。いまでこそ対人恐怖はだいぶ薄れたが、しかしそれでも人との距離のとり方っていうのはかなり悩んでしまう。
 結局、私がはじめて小説を書いたのはいつだったのだろう? たぶん、今から3年ほど前だ。ツイッターでいつも見ていた人たちが、小説が好きなもの同士で小さなコンテストみたいなものをしようとしていた。確か二万字以内の小説で、応募されたものの中から大賞を決める、みたいな感じだった。審査員は三人いて、いちおうプロの人だった。専業作家というわけではなかったが、何冊か本を出している人たちだった。みんなライトノベル系であった。それもあってか、わりと参加している人は多かったと思う。そういうコンテストを見て、自分も書いてみようかなって思った。何せ、自分は暇だったのだ。バイトをはじめて次々と辞めていったから、時間はいくらでもあった。私は「君は太陽」という、ちょうど二万字くらいの小説を生まれてはじめて書いた。いま読み返したらきっとひどい小説だと思う。でも、そのときの自分は「あれ、思ったより書けるな……?」という感じだった。二万字という文字数もわりと簡単にクリアした。ただ保坂和志に影響されたはずが、かなりエンタメ的な、もし保坂和志が読んだら反吐が出るような小説を書いていたと思う。それで私はそのコンテストに応募した。カクヨムというサイトを使っていた。
 応募して、わりとすぐに反応があった。正直、そんなに読まれないと思っていた。短編と言っても、二万字もある。プロの作家が書いたものなら短い部類だが、どこの誰が書いたかわからない文章を二万字読むのはわりと苦痛だと思う。でも、読んでくれる人は確かにいて、しかもその感想はわりと好意的だった。もちろん、そういう内輪ノリのコンテストは、辛辣なコメントを書く人はほとんどいない。人間関係なので、それはそういうものだろう。でも、わりと熱量のあるコメントをくれる人がいて、それがとてもうれしかった。
 結局、その小説は大賞はとれなかった。ただ、私の小説を読んだある人がそれをやたらと気に入ってくれて、「この小説をモチーフにした絵を描いていいですか?」と聞いてきた。「いいですよ」と答えたら、三日後くらいに良い感じの絵を描いてくれて、それもまたすごいうれしかった(今回のnoteのヘッダーになってる絵です)。自分の書いた小説で、さらに作品が生まれるという循環は、自分の大切な何かが満たされていく気がした。
 そんな風にして書きはじめた小説だったが、しかしむずかしいものでもあった。書けば書くほどわからなくなるし、そもそも良い小説ってなんだろうってなるし、何も思いつかないで一日が過ぎていくこともよくある。でも、気づいたら自分は文芸誌を買うほどには小説にハマっていた。こうした小説でも日記でもない文章を書く機会も増えた。読むことと書くことが生活の一部になっていた。
 成人してから本に出会い、だから本を読む行為をおぼえてからまだ十年も経っていない。文章を書きはじめたのはまだ三年くらいだ。それに書かないときは半年くらい書けないし読めないから、まだまだ自分はビギナーだ。それでもこうして書いたら誰かが読んでくれたりもする。いまだって別になにか目的があって書いているわけではない。義務というわけでもなければ、趣味というわけでもなさそうだ。自分の中で何かを整理をしているのだろうか? それもまた正確ではない気がする。
 最初に言ったように、一般的に、こうした文章を書くことはめずらしいのかもしれない。ただ幸か不幸か、私はこうして文章を書いている。そして今日も本を読む。夜には哲学カフェなんてものにも行く。すっかりその世界にハマってしまっていて、いまはスラムにも入ってしまった。もう抜け出せないのだと思う。読むことと書くことの世界に入った私は、まだその意味すらわかっていない。何をもって文章を読むというのか、何をもって書くというのか。その謎を少しでも知りたい。でも、こうして文章を書いていっても、あっちこっちに飛躍してしまって、いつまで経っても何にも辿りつけない気がする。書くことは心もとない。だから、他人に読んでもらいたいっていう感情が生まれるのかもしれない。
 気づいたらこれも5000文字近くある文章になってしまっている。もしここまで読んでくれた人がいたならば、それはそれですごいことだ。私はきっと伝えないこともなければ、書きたいこともないのかもしれない。何もないということを書いているのかもしれない。でも、それでもいいから、私はこれからも読んで書くし、それを生活と呼ぶし、あるいはそれを自分なりの信仰としているのかもしれない。

愛は祈りだ。僕は祈る。

舞上王太郎『好き好き大好き超愛してる』

 今日もみなさんにいいことがおきますように。たとえおきなくても、その絶望を楽しめますように。生きる歓びを、感じられますように。そのために私はあなたが書いた文章を読むし、こうやって文章を書いていく。そんなことを思っている。

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