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弦楽器詐欺

ある方の経験談(1人称で書かせていただきます)

私は、プロとして活動しているヴァイオリン奏者。

プロの弦楽器奏者だった親父の影響で、5歳の時から14歳まで、土曜日はヴァイオリンレッスン、日曜日はピアノレッスンと調音やソルフェージュなどの音楽基礎訓練のため音楽教室に通った。週末返上の生活は音楽高校に入学するまでずっと続いた。
音楽教室に通う子供たちの親は医者などの金持ちが多かった。みな教育熱心だった。

子供たちはほとんどが女の子で、器用にピアノを弾きこなし、調音やソルフェージュなどの音楽基礎も手際よくこなした。私はというと、楽器の上達も亀のようにノロく、調音やソルフェージュの能力も彼女たちから比べると遥かに劣った生徒だった。

それでも一所懸命つづけていれば何とかなるもので、無事に15の時には音楽高校に入学することができ、これで親の面子も潰さずに済んだと、当時の私は思ったものだった。音楽教室に在籍していた他の女の子たちはみんな地元の進学校に進んで、私の人生の視界から消えた。

高校を卒業後、私は根暗で生意気な、しかしプライドだけは高い音大生になっていた。

ある時親父に勧められるまま、イタリア製の楽器の購入を決めた。

楽器の値段は600万円だった。親父は才能のない私に過大な期待を掛けていたようだ。いや、私に才能が無いのを見越して、せめて良い音が出せるようにと、高級な楽器を買い与えたかったのかもしれない。

 弾いてみてまず思ったのは、とにかく鳴らすのが難しい。華やかさがなく心を閉ざしているような、内向的な音がした。
「それは長い間演奏されていない楽器で、これから弾き込めば花びらが開くように、楽器も心を開いていくだろう。むしろ今の状態でも十分に良い音がしている。素晴らしい楽器だよ」
その時の私にとっては親父の言っていることがすべてだった。ベテランである親父の言うことを聞いていれば間違いはないと、19歳だった私は強く信じ込んでいた。

 親父はプロの弦楽器奏者として40年近いキャリアがあり、楽器の売り買いも行っていた。600万円の楽器を売りつけた楽器屋は親父が何年も懇意にしていた男で、何十万円もする弓を数年の間に数本購入していた。そしてそれらの品に飽きると、同僚や弟子に売り飛ばしていた。

 当時、19の私にモノの価値や音の良し悪しなどを見分ける才があったならば。。いや、音の良し悪しを見分ける才はあったのだ。何故あの時、自分の直感にもっと耳を傾けなかったのだろうか。私の内なる声は「これは鳴らしにくい楽器だ」と私に警告していたではないか。

18年後

時は流れ、西暦201✖年。私は妻子持ちのアラフォーになっていた。音楽教室で弟子を教え、都内周辺のアマチュアオーケストラやプロオーケストラを渡り歩き、何とか食い繋いでいる「普通」の音楽家になっていた。

 インターネットの時代に入って久しく、今や殆どの人間がスマートフォン片手に街を闊歩し、必要な情報にアクセスできたつもりになっている。

 ネット上に存在する弦楽器の情報は、2000年初頭とは比較にならないほど充実している。特にアメリカやイギリスのオークション会社Tarisioが運営しているサイトでは、今まで競売にかけられた弦楽器の履歴を誰でも観覧でき、有名無名の弦楽器製作者の楽器の画像や落札価格を簡単に見ることができる。

ある日、都内のオーケストラの仕事での休憩時間にヴィオラのコウジと、だべっていた。こいつはオーケストラの正団員で、普通に生活していれば安定した人生が送れた筈なんだが、競馬と風俗が大好きで、決定打は同じ楽団の女性とデキて離婚、涼しい顔をしているが、実は慰謝料と養育費で生活は困窮気味だ。

あそこの楽器屋で、最近楽器盗難があったらしい。

楽器投資はどこそこの製作者の楽器が今は良いらしい。

あいつが持っている楽器は偽物だ。

嫌になるくらい、ケチな音楽家のケチな話。

話の流れで、私の楽器についての話題になった。
俺の楽器、いくらか知ってるか?
お前の楽器は3(300万円)くらいだろ?
いや、5だ。
それはないだろ。お前騙されたな。
Tarisioのサイトを見てみろよ。自分の持っている楽器の製作者のだいたいの価格がわかるぞ。

その時、初めてTarisioのサイトについて知った。
帰宅途中、電車の中で検索サイトからそのサイトに飛び、楽器の製作者の名前を検索にかけた。🔍マークを押す手が緊張で震える。私の楽器の製作者の名前はそれほど有名でないにもかかわらず、簡単にデータが出てきた。今まで4挺のこの製作者の楽器が競売にかけられていた。
最高落札額は200万円だった。一般に、オークションで取引される価格と楽器屋での価格には差がある。しかし、600万円と200万円の差は、余りにも開きすぎている。

脇の下や額から、じっとりと粘っこい汗が滲み出た。

そのまま楽器の画像に目を移し、貪るように見ていった。
弦楽器のスクロールの部分(楽器の先端の渦巻の部分)がどの楽器も非常に特徴のある格好をしていて、明らかに私の楽器のスクロールとは似ても似つかぬ格好だったのを確認したとき、思わずフーっとため息が漏れた。

数日後、私はネットで知った、ドイツの工房で働いている日本人楽器製作者に自分の楽器の写真をメールで送り意見を求めた。
「まず間違いなく贋作です。加工の仕方が稚拙で、とても熟練のマイスター(楽器製作者)が作った楽器には見えない。ただし、イタリアにいる鑑定士に鑑定に出して、製作者の名前がはっきりすれば、或いは高い価値が付く可能性はあります。イタリアの楽器は作りはいい加減でも、製作者の名前で価格が馬鹿みたいに跳ね上がりますから」


私は、一縷の望みをかけて、すぐにイタリアの鑑定士に問い合わせた。数か月後やっと仕事の休みが取れイタリア行きが決まった。
鑑定士が事務所を構えるイタリアのその町は、こじんまりしていて、街の外は草地が広がるだだっ広い平野だった。ここに17~18世紀に有名な弦楽器製作者のファミリーが工房を構えていたのがきっかけで、今では弦楽器製作者のメッカになっている。

この鑑定士が発行する証明書は世界中の弦楽器関係者から信用を置かれていた。この紙一枚で、楽器の価格がぐんと跳ね上がるのだ。

鑑定士の事務所は、路地裏の石畳の細い道沿いにあった。
初老の男性で、眼鏡をかけた品のある男性だった。

「鑑定が難しい楽器なので、今から1時間かけて楽器の細部の写真を撮る。鑑定には1か月ほど時間をくれ。メールで結果を連絡するよ」

近くのカフェでエスプレッソを飲みながら、こりゃ望み薄だな、と、直観で思った。

欧州に散らばっている高校や大学で一緒だった仲間たちを訪ねた。みんなオーケストラに就職して正団員として働いているか、音楽教室の先生、フリーランサーなどをして頑張っていた。

ドイツのオーケストラで働いているヴァイオリンの武雄に会いに行った。最後にあったのは大学卒業の時だから、15年以上経っている。

偏見や差別など日常茶飯事で、慣れてしまったよ。

ワーグナーをやった時に、隣のドイツ人が変な演奏していたんで「カリカリした音だな。もっとテヌートで弾いたらどうなんだ?」って言ったら

「俺は、ワーグナーと同郷なんだ。ワーグナーについては誰よりも知っている!」だってよ。

アイツら、バカだな。

武雄の家に行くと、ドイツ人の奥さんと息子と娘がいた。リビングは子供のおもちゃが散乱していた。

武雄は昔から小さな事には拘らない、大らかな奴だったが、今は目じりと口元あたりに疲れが滲み出ていた。長年にわたる異国での生活で、我慢や疲労を溜め込んでいるように見えた。

帰国してしばらくは、仕事をしていても自宅で子供と遊んでいても、鑑定士の返事が気になって悶々としていた。

とうとう2か月たっても返事がないので、しびれを切らした私は鑑定士に電話した。

「申し訳ないが、どこの楽器か、誰が製作した楽器かさえもわからない。残念だが価値は相当低いものになってしまうよ」

既に10年近く前に引退して実家にいる親父に事の経緯を伝えた。

「この楽器が偽物であるわけがない!鑑定士の言う事なんて信じられるか!」
「俺の目は節穴じゃない。しかも俺はあの楽器屋からどれだけブツ(楽器や弓)を買ったと思ってるんだ!得意先の俺を騙す訳がないだろ!」

「親に向かってなんだその言い草は!貴様の教育にどれだけつぎ込んだと思ってるんだ!ああ!?」

やり場のない憤りと虚脱感で、電話を切った。何もする気が起きなかった。

この18年間、楽器の音色や音量に満足がいかず、その度に独善の塊である父親に相談したが、楽器が本物である事を信じて疑わない父は、全く聞く耳を持たなかったばかりか、「お前はその楽器を絶対勝手に売るな。売るときは俺が売る」と私に厳命していたのだった。愚かでトロい私は、今の今まで専門家である鑑定士や、他の楽器屋の意見を仰ぐという考えに至らなかった。私は親父に洗脳されていたのか。

きわめて鳴らしにくい、弾きにくい楽器を18年も引っ掻いてきた努力は何だったのか。オーディションも就職試験も、更には高い旅費を払い海外にまで足を運んで受けたオーディションは数限りなかった。その度に、「君は技術はあるが、楽器の鳴りが悪い」と何度言われたことか。

それでも600万円の高級楽器だ。絶対に鳴る、いつかは素晴らしい音が出るはずだと、自分に言い聞かせて今までやってきた。一時は、弓との相性が悪いかもしれない、と親父に言われ60万円もする弓を購入した。

挫折するたびに何とか心に灯をともしてやってきたが。

もう限界だな。

しばらくは楽器を手に取って練習する気が起きなかった。

 日本では2000年初頭まで、一部の楽器屋を除いて、詐欺に近い行為がまかり通っていた。鑑定書(証明書)のない楽器を高額で売りつけたり、まあまあ有名なイタリアの製作者の名前が付いた素性の知れない楽器に、どこの馬の骨だか分からない楽器屋が書いた鑑定書(証明書)をつけて高額で売る。また、これは今現在でもそうだが、欧州では200万円ほどで売られている製作者の楽器が日本では2~3倍の価格で売買されるなど、この業界は胡散臭い話にだけは事欠かない。

 インターネットが普及していなかった時代、弦楽器の情報を得るには、写真付きの辞書のような分厚い本を何万も出して買う以外方法がなかった。つまり買い手のリテラシーが極端に低かったため、楽器屋は簡単に詐欺を働くことができたのだ。当時のリテラシーの低いプロの音楽家達は、自分の弟子にもそういった楽器を仲介したのだった。まさに負の連鎖だ。

 いやリテラシーが低かったのは楽器を販売する側も同じだった。

 親父が懇意にしていた楽器屋も、もしかしたらこれは良い楽器だと本心から思って適当な値段を付けたのかのかもしれない。楽器の価値を見分けられる第3者機関的な、プロの鑑定士が存在しない当時の日本で、だれが正常な価値判断をし、冷静な価格設定ができたであろう?

因みにこの楽器屋はずいぶん前に離婚していて、その後自分の店で雇っていた女とデキて妊娠させていた。最近は心筋梗塞を患い大きな心臓の手術をしたと、風の噂で聞いた。

親父はこの男から600万円を取り返すつもりも、また文句の一言も言うつもりは無いらしい。

やはり鑑定書(証明書)がない楽器に600万円という気違いじみた値段をつけたこの男の行為は最低だ。しかしもっと間抜けなのは、この楽器を楽器屋の言い値で承諾して買ったのは、親父だった。

過ぎた時間はもう戻ってこない。ましてや600万という金は絶対に返ってこない。

芸術家ともあろうものが、自分が使う道具の選定に、自分以外の人間の意見を優先させたことがそもそもの悪因であり、芸術への冒涜だったのだ。罰があたったのだ。

人生で、失敗する事は誰にでもある。しかし失敗にも色々あり、取り返しのつかない失敗というのもあるという事を、40近くにもなって私は初めて知ったのだった。。


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