なぜこんなに生きにくいのか

みなさん、こんにちは。まっきーこと石牧です。先日、有名な俳優さんの訃報に接して、ちょっと重いのですが、生きにくさについて書いてみようと思い立ちました。

1. なぜこんなに生きにくいのか

社会に出て、働きながら、よく分からないけど生きづらさを感じていた頃にYouTubeである動画を見つけました。これが自分の中ではかなり衝撃的で、いまだに影響を受けています。お話ししていたのは、南直哉さんというお坊さん。話していることを私のフィルターを通してまとめるとこんな感じです。

人間は本人が選んだ訳ではないのに容姿や身体的なスペックを「負わされて」この世に生まれる。だから「自分」とは何なのかという問いと闘争している。そして、この「自分」という恐らく答えのないものと闘争するために必要なのが、自分を無条件に肯定してくれる人、場所(一般的には両親や家庭になるんだろう)を持つということ。つまり、無条件に自分がそこにいるだけで価値があることをみんな認めてほしいんだと思う。でも、親は自分より先に死ぬし、ずっと自立せずに家庭にいる訳にいかない。

だから、そんな自分の価値を認めてくれる居場所を社会に求める。だけど、現代においては労働市場で求められるその人の能力や優位性が個人の人間関係にも「逆流」して、人間関係が市場化している。つまり恋愛市場における価値(容姿、年収とか)、友達市場における価値(私と友達になるとあなたにとってこんなメリットがある)をみんな求めている。だから、社会の求める理想像に自分をはめ込んで、自分はこんなに価値があると自分を無理やり膨らまそうとする。そうしないと「負わされた」自分と闘うために必要な居場所を失ってしまうから。

2. 海外で思ったこと

私は、大学時代アメリカにいたので、たまーに聞かれることがあります。アジア人だと差別されることがなかった?と。私は、正直差別されたと感じた記憶が全くありません。恐らく差別もあったのだと思いますが、それ以上にみんな優しかった記憶しかない。杖をついて歩いていると、学校でも、スーパーでも、レストランでも、みんな何か手伝えることない?って聞いてきてくれた。

学校に行けばクラスにゲイのカップルが普通にいました。なんかいつもあのふたりいっしょだなーと思ったら、キャンパスを手を繋いでイチャイチャしながら歩いていたりとか。

他人に対していい意味で寛容で、いい意味で無関心だったのかもしれない。もちろんアメリカにだって根深い差別の問題はあるし、私が知らないだけで都市で働けば、日本以上に人間関係の市場化が進んでいるのかもしれない。でも、日本よりも他者を受容する力は強かったと思う。

何が言いたいか。どちらがいいとか、悪いというつもりはないけど、もう少し日本は寛容になってもいいんじゃないかと。

今日はこんなところで。

楽読のインストラクターやってます♪興味があったらぜひ!


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