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結局ぼくは「何重人格」なんだろ。SNS複数アカウント発信に思う。(その1)

何をどう発信するのか。ルールをどうするのか。
そこでやっぱり気になる、SNSアカウントすみわけ問題をまず考えてみようかなぁって思いました。たぶん、みんなも悩んでるんだろうなぁと思って。

〔自分なりに、書きながら歴史と使い方を振り返ってみる〕
ぼくが一番最初にインターネットに接したのは1995年の初秋でした。「面白いものがあるぞ」と大学合唱団の同期に、コンピュータセンターみたいなところに連れていってもらったのが、最初だったと記憶してます。(高校の友人でいわゆるパソコン通信をやっているのは知ってたけど、その世界には入れなかった。)ここから、「インターネット人生」は始まったんです。

■まずは電子メールでコミュニケーション(SNSじゃないけど)
メールが届く。当時はそれだけで面白かった!友人から、なかなか面と向かって言えないこととか、バイト先の裏話を数行だけ送り合うとか。そんな感じだったけど、なんか別の秘密基地コミュニティがあるような気が何となくして。当時は、電話回線を使うダイヤルアップ接続だったから、送受信して→接続切って→ファイル開けて→それから読んで、みたいな。
確かに手紙の電子版、っていう感じだったよね。

■「掲示板」でコミュニケーションしてた時代(1998年ごろ~)
いわゆる「便所の落書き」とか言われていた掲示板だけど、そこでいろんな情報が集まってた。クラシック音楽が好きの猪田、「クラシック招き猫」に入り浸ってました。(2006年ぐらいまで続いたんだっけ?)
クラシック音楽好きの悩みの一つが、コンサートに行って素晴らしい演奏を聴いても、その感動を分かち合ったり感想を言い合ったりする仲間がなかなかいない、ということ。ところがこの掲示板に行くと、その日の夜のうちに誰かが感想をあげてくれて、そこにいろんなやり取りが続く。(当然、自分からスレッドを立てることもあった)同じ場所にいたという感動(当然、残念な想いも)のやり取りがリアルタイムでできるのが新鮮で、活用させてもらいました!(ただ、匿名コミュニケーションで特にリアルに会うこともなかったな。)

■次は「mixi」?(2004年ごろ~)
当時招待制度だったmixi。私は50万人目ぐらいでアカウントを持ちました。(※GREEは持たなかった)このころですよね。いわゆる久しぶり系の人とつながれるようになったのは。高校の友達と10年以上ぶりに再開する機会(「リアル関係者オフ会」みたいなもの?)が増えて時代は変わったってつぶやいたのを覚えてます!
私の立ち位置は今のFacebookに近い感じで、基本はすでにこれまでリアルであってる友人だけをフォローした感じ、だったかな。その人たちに身の回りのお役立ち情報とかを共有していく感じ。でも「沖縄離島繋がり」とか「ライブラリーの知り合い」とかちょうど増えていくタイミングで、知り合いが増えていくというのが嬉しかったですね。たしか2010年ぐらいまで、よく活用してました。名前は愛称+本名でやってましたね。

■「ブログ」の時代(2005年ごろ~)
ぼくは、2度ほど書こうと思ってあきらめたので、ここは飛ばしてもいいのだけど、思い出語りで書き留めておこうかと。
ちょうどこのころブロガーとかが増えてきたんですよね。『WEB進化論』がちょっとブームになったり、「アルファブロガー」が注目されるようになってきた時代。その前から個人WEBサイトの時代がありましたが、より日記性が高まったのが、ブログから。(※ブログの正式名称?は「WEBLOG」ですからね。まさにログを付けていく感覚で書けるシステムだったから)
旅行ブログを追いかけたり、気になる人の投稿は定期的に読んだり。ブログ主宰者が企画する「オフ会」とかも開催されるようになってきて、私も1度だけカレーのオフ会に行ったことあります。あの時はホントに緊張したなぁ。あれがなかったら、Twitterの人たちとはリアルに会ってなかったかもしれない。つまり、いまの僕は、なかったのかもしれないのです。

■「Twitter」ってなんだ?(2009年ごろ)
シゴトで広告会社のプロデューサーと話をしていて、Twitterという存在を知ったんです。短文が書ける気軽な投稿システムだぞ、っていうことだったのですが、当時勤めていた会社の社長からこんなことを言われました。「Twitterがすごいのは、すべての投稿が一つのシステムに入っていることなんだぞ、そこを押さえないとダメだ。」ということ。その時はぼーっと聞き流していたんですが、あとでよくよく考えると、確かにすごい事だったことに気づかされます。
話は、私は「クラシック音楽好き」に戻ります。このころ、クラシック音楽の安心できる掲示板がなくなってしまって(2chにはありましたが)困ったことがありました。それが、せっかく楽しかった「感想を言い合う場がなくなったこと」だったのです。ブログで感想を書いている人はいるのですが、まず探すのが面倒くさい。(みなさん「検索」のほかに「ブログ検索」って別システムがあったの覚えてます?当時の私は、あれを駆使して探してましたよ)あと、ブログのコメントはとっつきにくい。そんなこともあって、なんかイライラしててたんです。
Twitterをやり始めてから、演奏会後の帰りの電車で、Twitterで会場名とか指揮者名を入れて「検索」を始めたんです。そうすると、終わってもう数分で感想がシェアできる!!@を付けると、簡単なリプライもできる!こりゃすごい!!
演奏会の後の帰りの電車が楽しくなりました(これはマジです!)。それで、同じオーケストラの定期会員(マイシート制度のようなもの)を中心にフォローをはじめて発信したり、やり取りをしたのが私のTwitter時代草創期。ネットとはいえ情報発信をするんだから、責任を持つために実名にしよう、ただ誰に見られているかわからないから顔出しは止めよう、アイコンは変えないことでブランディングをしよう(これは今も守っている)。鍵を付けたり外したりということはしないようにしよう。このあたりをマイルールにして、始めたのです。
140字でホントにいろんなコミュニケーションできました。@以下の名前が長いとそれだけで文字数が増えるから、文字数減らすことで複数人でリプができるようにしたり。会ったことない人なのに、クラシック音楽という趣味だけでここまでガチでリアルコミュニケーションできるんだ、っていう楽しみをやりました。そうすると、さすがに「この人どういう人なんだろう?」って気になってくるのが人情。ホントに重い腰を上げて、「終演後ぜひお会いしませんか」って言って4人集まってくれていわゆる「オフ会」を始めてやったんです。もう一度会うと、だんだんと仲間が仲間を呼んでいくという感じで、趣味の知り合いが増えていったのです!

まだ2011年ですね。タイトルに答える文章にもならず、まさかの続編に続く…になっちゃいましたw

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