いつもこころにあおぞらを、あおぞらはつながっている。
海に行きたいという発作が収まらず、気づけばシェアカーを借りて、車で海に向かっていた。平日の昼だったからか、駐車場に停まっている車はまばらである。それにしても暑い。暑すぎる。涼しくいたいメンタルに反して、フィジカルは洋服が肌に貼り付くほど汗を掻いている。心因性による多汗症や不眠症はあるのに、心因性による無汗症はないものか。メンタルでフィジカルをコントロールできる方法があるならぜひ教えてほしい。
そんなことを考えている間に海辺に着いた。心地よい海風に、耳触りの良い波音。テトラポットではカモメたちが戯れていた。なんだか窮屈なもんだから、履いていたサンダルを脱いで、コンクリート地面を素足で踏んでみた。足裏で地面を掴む感覚を思い出す。慣れないコンクリートに、まだ足裏がびっくりしているみたい。
日陰になっている階段を見つけ、そこに腰かけることにした。しばらくの間、そこから夏の空を眺めていた。30分くらい経っただろうか。急に心の奥がチクチクし出し、涙が零れ落ちてきた。悲しいのではない、嬉しくて泣いたのだ。
この青い空の下には79億人ものニンゲンたち、無数の動物たちと植物が生きていて。それら命たちが毎日生まれては死に、死んでは生まれというサイクルを繰り返し、命の営みを繋いでいる。そんな果てしない命の1シーンに私は存在している。そう思うと、自分の命自体が祝福されている気持ちになった。こんな気持ちになったのはミャンマーに行ったとき以来。生きていることが嬉しくて涙したのだった。
そんなときふと思い出した言葉がある。
「あなたは独りじゃないよ」という意味で解釈していたが、今はさらに異なる意味があるように感じる。それは他者との繋がり(今存在するものも存在しないものも含め)を感じ、生きることの喜びを思い出すということ。
自分という枠を超えた、何か計り知れない大きなものに包まれているような感覚。ちょうど母親の子宮に守られている安心感のようなもの。そんなものがニンゲンは、一人のニンゲンとして生まれて以降も必要なのかもしれない。
これを読んでいるあなたも“こころにあおぞらを”。
あなたと私も繋がっているよ。
※空の写真を逆さまにして見てみて!
一匹のワンちゃんを見つけたあなた、きっといいことがありますよ☺︎
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