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小説という宇宙-『三体』を読んだ-

小説をというものを読んだ一番古い記憶は、母が地元の小さな公民図書館で借りてきてくれた『FREEDOM』という作品だった。

僕と年の近い人なら、覚えてる人も多いんじゃないだろうか。日清カップヌードルのCMで、宇多田ヒカルの曲をバックに、宇宙を舞台にした3Dアニメが流れていたことがある。
僕が読んだのは、その小説版だ。

母がFREEDOMを借りてきたのも、単に表紙がアニメのキャラクターだったから、そんな理由だったのだろう。漫画ばかり読んでいた僕に、少しでも活字に触れさせようという試みだったのかもしれない。

僕はまんまと、母の作戦に引っかかった。
夢中になって、ページを捲った。

「宇宙」という果てしない未知を、頭に思い浮かべた。当時小学生だった僕にとって、それは途方もなく時間がかかる作業だったはずだ。でもそれ以上に、自分がまだ人生で触れたことのない未知の領域にズブズブと足を踏み込んでいっている興奮を感じていた。


次に読んだのは、同じ公民館に置いてあった、『ぼくらの』という作品の、これまた小説版である。

漫画が原作で、「アーインストール~♪ ア~インストール♪」という、サビが非常に特徴的な主題歌で知られるアニメ版も存在する。

そして奇遇なことに、これもまた「宇宙」の要素が非常に強い作品だった。『FREEDOM』と違う点といえば、ロボット大戦系の要素も含まれることだった。
公民館には半端な巻数しか置いておらず、結局最後まで『ぼくらの』を読み切ることはできなかったが、大学生になってから、漫画版を買いそろえた。それくらいに面白い作品だった。



どの本屋に寄っても、『三体』シリーズは山盛りに積まれてアピールされていたので、人気作品だろうなぁということは薄々感じてはいた。

それにやっと手が伸びたのは、その前に読んだ『台北プライベートアイ』という台湾の推理小説がきっかけだった。初めて読んだ中華圏の小説だったが、これがなかなか良かったので、ついにというか、ようやく『三体』を読む心の準備が整ったといえる。

『三体』シリーズは、中国大陸出身のリュウ・ジキンが描く、壮大な宇宙SF作品だ。
簡単にあらすじを書いておく。

_文化大革命の抑圧された時代、一人の女性によって宇宙の果てに送られた一通のメッセージが、その後数世紀に渡る地球の運命の一切を変えてしまうことになる。
数十年後の現代、地球では科学者達の謎の自殺が相次いでいた。彼らは「物理学は存在しない」というメッセージを遺し、その命を絶っていく。それが、宇宙の果てから送信されてきた、たった2つの改造された『陽子』によるものだとは、知る由もなかった。


この作品が、僕の短い人生の中の小説ランキングでダントツの一位に輝くことになろうとは、本屋で最後まで購入を悩んでいた時の自分には想像もできなかった。

あれから二か月半経って、僕は『三体』シリーズを全て読み終えた。

三体はその物語の中で、気を失うレベルで”時間”が流れていく。それと同じように、僕が『三体』を読んでいると、まるで外界から切り離されたかのごとく時間が進んでいた。

ふと本を閉じて、狭いアパートの部屋の中という現実に戻ると、なんともいえない窮屈さを感じた。『三体』は、”文字”で綴られた究極的に解放された永延の世界だった。

『FREEDOM』を読んだあの頃から何も変わらず、ただ目の前の文章が作り出す広大な世界にどっぷりと酔いしれた。本当に本当に面白かった。



ときどき、小説を読むなんて時間の無駄だという人の意見を目にする。
小説など、突き詰めれば全て架空の話であり、「ウソ」なのだ。

そんなもんを読むくらいなら、新書や自己啓発本を買って、実践できる思考や力を身に着けるべきだという。まぁ、そういう意見があってもおかしくはないとは思う。
中には実話ベースのものであったり、現実世界の出来事を限りなくリアルに描写する作品もあるかもしれないが、基本的には作者の想像を域を出ることはない。

だが、大事なのはそこだ。僕らは作者という他人が思い描く世界を、文章という媒体を通じて、今度は自分の頭の中で思い描かなければならない。

小説がアニメや映画と違うのは、その”想像”に、途方もない数の異なるパターンが生まれること。読む人によって想像される世界は、その人がこれまでの人生を通して経験してきたことであったり、考えてきたこと、見てきたことが如実に反映される。
作者がどれだけ細やかに情景を伝えても、個々の読者に思い浮かぶ光景は、何一つとして同じものがないはずだ。

究極的に言えば、小説を読むことは、他人の想像と自分の想像を交えることだ。
伝えられた情報を、自分が持ちうる最大限の力で受け入れて咀嚼する。作者から読者への一方的なコミュニケーションではない。

それこそが、よく言われる『人を慮る』ことなのだろう。これが現実的な実践にならないといは、到底思えない。小説を通じて想像される世界はまるで宇宙のように広く大きいのだ。

宇宙のことを考えると同じくらい、人を考えることは難しい。二つとも、あまりにも未知な世界である。だからこそ僕らは最大限の努力をしようとする。

小説を、本を読むことは、他者への理解に他ならないのかもしれない。


おわり


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