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論理的思考と直感的思考とその他。
twitterで話題になっている、論理的思考の放棄という、登大遊さんのブログを読みました。
ざっくりいうと、たくさんのコードを書くには論理的思考を放棄した方が良い。という内容で、プログラミングというのは、論理的思考の塊だと思っていたぼくにとっては目から鱗状態でした。
とはいってもぼくはプログラミングにおいてはまだまだ駆け出しで、論ずるに値しないので、得意の数学に置き換えて考えてみることにしました。
中学校数学教師ということで、中学生にむけて書きますので、難しい数学の話は出て来ませんし、平易にする分本質との乖離が多少あることは否めません。あしからず。
もちろん、論理的思考は必要だ。
数学の問題を解く時、論理的思考が邪魔になるという人はあまりいないだろうと思います。数学の問題って、現実の問題と違うところがあってそれは何かの能力を測っていることです。(学校教育の場合)。だから直感に反することを数学的な論理にしたがって解くことができるか、みたいな問題も多いです。
たとえば直感と反する問題で有名な確率の問題。モンティ・ホール問題。
細かい説明はウィキペディア先生に任せることにして、ざっくりとした説明をします。
1. 3つの扉があって、1つがあたり、残りの2つはハズレ。
2. 回答者は3つの扉の中から1つ選ぶ。ただし、すぐに扉は開けない。
3.司会者であるモンティさんは残りの2つの扉からハズレの扉を開ける。そして、回答者に向かってこう言う「今なら、選択を変更してもかまいませんよ?」
4. 回答者は選択を変えた方がいいのか、(当たる確率が高いのか)変えない方がいいのか
と言う問題です。なお、注意点としてはモンティは必ず解答者が1つ扉を洗濯した後で、はずれの扉を一つ開きます。そして、そのことを回答者は承知しているということです。
もし、論理的思考を放棄し直感的思考で考えるならば大多数の人が選んだ扉を変更しないということになるらしいです。が確率論では扉はいかなる場合も選びなおした方が良いとされています。
つまり論理的思考が必要な場合があるということです。
また、三角形の相似を見つける時にも、直感的には相似っぽくないけど、検証してみたら相似条件に当てはまっていたみたいなことも、自分の中ではよくあります。どちらかというと幾何の問題に多い気がします。
機械的思考というか、手続き的思考というか
一方、論理的思考はあんまり使ってないけど、直感ってわけではない。
そんな思考もあるような気がします。
たとえば方程式。これはもう、ほとんど機械的に説いています。論理もへったくれもありません。手続き的ともいえるでしょうか。立式するまでは非常に神経を使うのですが、式さえ立ててしませば、もう無心で式変形を行います。公式に当てはめるのもそんな感覚でしょうか。
数式のいいとことは一旦「意味から離れら」れることかなぁと思います。もちろんどこかのタイミングで意味的理解をしなければならないのですが、同値変形をしているときは、テンポよく無意識です。
直感的思考ってどんな時に使っているだろうか
直感が必要ないか、と言われれば当然そんなことは無いと思うのです。
特に、文章題のとっかかりの部分で、どのような技術を使って問題を解いていくのか、方針を立てるときはまさに直感としかいいようがないことがあります。
なんとなく、三平方の定理を使うような気がした。なんとなく、a = 100で考えてみたらうまくいった。証明の時でも、こうなったら嬉しいんだけどな、と都合の良い結論からスタートしたらうまいことそうなった。みたいな経験はたくさんあります。
ただ、たくさん問題を解いた経験の裏付けということもできそうで、直感的とは何か定義が曖昧なことも否めません。
結局、いろんな頭の部分を使っているのではないか
こう言ってしまってはもとも子もありませんが、いろんな思考を瞬時に切り替えて問題解決をはかっている人間ってすごいな。という感想で締めたいと思います。
なお。先のブログの登さんの主張を否定するものではありませんし、(そもそもコードをたくさん書くには論理的思考は邪魔と言っているだけ)数学に置き換えたら結構いろんな思考を使ってるんだなということがわかったという記事ですので。そこんところよろしくお願いします。
おわり。
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