見出し画像

自分に矢印を向ける

自分に矢印を向けることって簡単に見えて結構難しいですよね。だけど、生きるためには絶対に必要なことだと思うんです。

仮に今全世界の人が自分に矢印を向けられない脳に切り替わったとしましょう。おそらくですが、全世界の大半の人は3日も経たずに死んでしまうでしょう。あるいは、死ぬという概念すらも感じれないのかもしれません。自分に矢印を向けるとは、解釈は様々ですが、自分という存在を認識し、今を(幸せに)生きるために何が必要かを考えることだと思います。常に自分の言行を観察し、検討することを意味しています。人それぞれ人生の価値は違えど、今自分は何をするべきでどのような行動をすれば良いのか考えることは、その場の最適解を見つけることにつながると感じます。
しかし、人間は感情という生き物を飼っているので常に自分に矢印を向けるということは難しい場合もあります。私も時々、感情的になり、部下の失敗や同期の行動にイラッとすることがあります。それは、まだ私が若いから経験が浅いということもありますが、大小問わず誰しも経験あると思います。(その日の体調もありますしね。)思い通りにならない現実にストレスを感じているのでしょう。完璧にとは思いませんが、感情をコントロールして、自分は今何をすべきか考える思考の修正が大事だと思います。

ところで、こんな「自分に矢印を向ける」という行為はどこで考えたのか振り返ってみました。私は生まれてからスポーツを継続して行なっているのでそこにルーツがあると考えました。
以下は私のスポーツ経歴を表したものです。

・小学生 多種目
・中学生 部活動1種目+校外スポーツ1種目
・高校生 部活動1種目
・大学生 部活動1種目 実施中

ご覧の通り、スポーツ一筋の人生歩んでいます。
小学〜高校までは「する」視点でのスポーツの関わり方が多かったと思います。(今までの最高成績は高校のインターハイで5位。)しかし、大学に入り、自分が行なってきたことを他者や社会に還元したいと考え、専門種目のコーチや地域の小学校体育の指導をするようになりました。どうせやるなら質の高いものを提供しようとこの頃から教育の分野に興味を持ちはじめ、ネット上で教育コミュニティやセミナーに参加し、勉強し始めました。教育を勉強する中で最も重要だと思ったのがのが「生徒の立場に立って自分事として考えること」でした。自分がこの生徒の立場ならどうアプローチするのか考えることは、言い換えれば生徒たちが今幸せに生きるため(スポーツの場合:動きを変える、試合に勝つなど)に私はどのような行動をとるべきか考えることでありました。指導者が生徒に対してこうすべきと思うのではなく、この生徒はこのような特性があるから私ならこんなアプローチをするとあくまで生徒視点でものを考えることが大切だと思いました。この経験は、初めて本当の意味で自分に矢印を向けて考えるきっかけとなったと思います。指導をする度にこの行為を続けたことで、自身の経験値や価値観が豊かになったと思います。私が好きな言葉で「エンパシー」という言葉がありますが、それはまさにこのことで他人の感情や経験を理解し、共有する能力が養われていきました。他にも自分に矢印を向けることで様々な効果を得られましたが、今回はこれくらいで。

私の場合、教育という分野に関心を持ち、「自分に矢印を向ける」を認識できましたが、おそらく他の分野に取り組んでいる人も自分に矢印を向ける行為は自己の成長や組織の成長のために行なっているのだと思います。

みなさんは今自分に矢印向いていますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?