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小学校から一斉授業になるのは仕方ないこと?

実は7月からstandfmにて音声配信をしております。
理由は、書くよりはやくて楽だから!なのですが、
書くことも好きなのでいいとこ取りをしてnoteとstandfm行ったり来たりしている日々です。

そして、先日こんな配信をstandfmでしてみました。↓

ちなみに、なぜ名前が「みつあみ先生」なのかと言うと、
本名に「先生」と自分で書くのはなんとなく恥ずかしかったのと、
「みつあみ」という言葉にちょっとした思い出があるから。
この名前の由来についてはまた別で書きたいのですが、、(笑)
今回はこちらで配信した内容を文章でも残したいなと思います。

私は今日とある保育に関する研修を受けました。
その際、参加者からの質問で、
「いくら保育園で個々を大切に保育をしたり、
子どもたちに自分でなにかを決めさせる経験を作ったとしても(このときの例に挙がっていたのは、給食を一斉にするのではなく、子どもたちに好きな時間にビュッフェスタイルで給食を食べてもらう、という取り組みをしている保育園の事例でした)、
小学校では一斉授業や時間が決められてその時間に動くことをしなければいけなくなるのだから、
子どもたちはその違いに混乱してしまうのではないか?」
という内容でした。

このコメントに対するわたしの正直な感想としては、「いや、でもそれじゃあなにも変わらないよね」です。

もし一斉授業・みんなで一緒にすることに重きを置く教育がいまの時代やこれからの時代に相応しいのであればそれでもいいと思うけど、
そうじゃないよね、って感覚がある人たちや子どもたちは多いと思います。

そこに対して、やっぱり少しでも行動で示す・声を出すということは意味があると思います。
そうすることによって、「仕方ない」と思っていたことにアプローチすることがやっと出来るようになるので。

既存のやり方に従順でいるのは、ある意味とても楽なこと。
でも、なにか少しでも心に違和感が残ってしまうなら。
その違和感を見ないフリしていることは、心の中に汚れた雑巾が溜まっていくように、
少しずつ心にへどろのようなものが付いていってしまうと思います。

子どもたち個人を大切にする保育をすることが、
今後の教育においても影響を与えるかもしれない。
そんなことを感じます。

standfmでは実際のわたしの声でお話していますので、
よかったら聞いてみてもらえると嬉しいです。

(980字)

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