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終わりなきわかりやすさの追求

「今年はどんな年だったかなあ…」と考えていたときのこと。
ふと、こんなことを思いました。

「わかりやすく説明できるようになりたい、わかりやすく伝えられるようになりたい」って、今年いろんなところで言っていた気がするな、と。

今年の始めに参加したmogのキャリアビジョンワークショップで「わかりやすく伝えられるようになりたいです」とわたしが口にした時、
ペアワークをしていた相手の方が、「え?説明すごくわかりやすいですよ?」ときょとんとした顔でおっしゃっていたことがすごく印象的でした。

その時に、「わかりやすくしたいのはどのあたりですか?」と聞かれて、
わたしは漠然とした「わかりやすさ」を追い求めているな、と気付きました。

でもそれから今日に至るまで、自分の中での「わかりやすさ」がまだピンと来ていないまま、
今でもわかりやすさを追い求めている状態です。

子どもたちになにかを伝える際に「わかりやすく伝えるには…」を常に考えているし、
音声配信でも「わかりやすく話したい」と思っているし、
オンライン家庭教師でも、そしてこのnoteでもわかりやすさを常に追求してきました。

もちろんこれは、いまの自分がまだまだわかりやすい説明が出来ていないと自覚をしているが故のこと。
どうしても自分はまわりくどい言い方をしてしまうなと日々感じているのです。

そんなことを思いながら、自分はどんな伝え方を死体のだろう…と考えてみて思ったのは、
わたしが求めているのは「わかりやすさ」というよりも、
「すっきりとした言い回し」なのでは、ということ。
相手にダイレクトに伝わる伝え方。
「ここでお話するのは、一言で言うと、こういうことなんです!」とわたしは言いたいみたいです。

わたしの話の組み立て方は、どちらかと言うと
こうで、こういう理由で、こうなのです、という説明方法。
でも理想は、
結論はこれ!どーん!って説明することなんです。
帰納法と演繹法の違いってやつですよね。

わたしが今年1年かけて追い求めてきた「わかりやすさ」の正体は、
実は結論から話せるようになるスキルのこと、だったのかもしれない。
でも、正直言ってほんとにこれなのか?と思うところもあり、
わたしの求めているものの実体はよくわからないままです。

「わかりやすさ」みたいな抽象的なものは特に、
なんでも形にして、言葉にして、説明しなきゃいけないと思っていました。
でも、もう少し感覚的なもので自分なりの表現方法を探っていけばいいのかもなあ、と
そんなことを思い始めているこの頃です。

今年、わたしの脳裏に常にあったのは、この「わかりやすさの追求」でした。
今年中にその追求が終わるとは思っていないので、
これからも付き合っていきたい課題だなあと楽しみな気持ちになっています。

(1,131字)

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