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移住とアイデンティティ

今日は、地方暮らしについて。

わたしは、3年間とある地域に移住をし、生活をしていたことがあります。

その3年間のことを振り返ると、いつもいつも「わたしはだあれ?」を考えていたように思います。
毎日、と言っても過言ではないくらい、要所要所でそのはてなに向き合うことが多かったです。

「移住者」というのは、イメージとしてはなにも防御がない、なにも持っていない状態の人たちだと思います。
なぜならそこに昔からある地域コミュニティとは絶対的な繋がりがなく、ふわふわとした状態だからです。

そんな地域暮らし。
本当に本当に貴重な経験がたっくさんあったので、
これから移住者として感じたリアルな気持ちを、少しずつ書いていきたいなと思います。

自分を突きつけられる環境

「どうしてこの地域を選んだの?」
この質問を、1年間で何度聞いたか分かりません。
そしてこれは、何年目になっても聞かれるんだなということも学びました。

「どうして?」って聞かれるっていうことは、自分の考えを説明するってこと。
つまり、自分を相手に伝える行為なんですね。
自分のことを相手に伝えるって、結構エネルギー使いますよね。

だから気持ち的にしんどさみたいなものを感じたりもしたけれど、
でもいま思えばこれは地域暮らしで欠かせない感情だったなあと思います。

「なんでわたしはここに来たんだろう」
「なんでわたしはここでこれをしているのだろう」
こういったことを、普段の日常生活で意識しているって…なかなか無いと思います。
目の前のやることで精一杯だったり、自分の感情に向き合うことを自然に避けてしまっていたり、
いろいろあると思うけど。

でも、これらの問いは、いろんな場面ですごく大きな力になってくれていました。

わたしは一言で言うと、「地域の魅力を味わい、伝えていく生活をしたい」と思って移住しました(もともと地元の人たちとの繋がりもあったので)。
そして移住した初日に地元の中学生たちに出会い、なぜだかその日から英語を教えることになりました。
そうこうしているうちに小学生たちに遊びに誘われるようになり、仕事終わりや土日は子どもたちと遊ぶ日々。

やがて、子どもたちは地域の中にある食堂のお手伝いをしにきてくれたり、
イベントに参加してくれたりするようになり、地元の人たちと子どもたちの関わりが増えていきました。
「地域で暮らす豊かさを体現したい」と思って移住した結果、
そのメッセージをいちばんキャッチしてくれたのは地元の子どもたち。

自分の気持ちに向き合わざるを得ない環境にいたからこそ、「いまなにをすべきなのか」がすごく見えやすくなったように思います。
その基礎となるのはやっぱり、「わたしはなぜここにいるのか」という問いだったなあといま振り返ると実感します。

何者でもないから心地よい

もうひとつ、すごく印象に残っているのが、たまに遊びに来てくれた学生さんたちのこと。

学生さんたちが地域に入ってくると、彼らも最初は同じように「何者かわからない人たち」と地域の人たちから見られています。
でも、イベントのボランティアで草刈りをお願いしたら、草刈り中に四葉のクローバーをたくさん見つけていて、
地域の人たちに「四葉のクローバーたくさん見つけてた人」と認識され、会話が弾んでいく…

こういう学生さんって、もともとの肩書きとか経歴とか度外視して「いまこの状態」の自分をさらけ出せるのが心地よくて、
別の機会に何度も地域に遊びにきてくれたりすることがよくありました。
彼らは地域での活動中はそこまでアクティブに見えなくてもなんだか微笑んでいて、
「あ、なんかすごく楽しんでくれている気がする」ってわたしたちに思わせてくれていました。

だから、地域の中に入るということは、自分の殻を脱ぐことも、自分のことを改めて認識することも表裏一体で体験できる、
すごくいい機会だなと思います。

これがなぜ地域の中で起こるのかというと、
多様な人と会うから。
そして、いままでの都市生活での常識と違う世界だから。
この2つが大きな理由だと思います。

そりゃ、移住とたまに遊びに来る、は全然違います。
移住しちゃうと良くも悪くもいろんなことが見えてきてしまう。
でも地域での活動をきっかけに「自分自身」に向き合う経緯というものには共通性があるように思います。

何者でもないって、心地よい。
これってめちゃくちゃ優しい世界だなと個人的には思っています。

移住者という立場について

最後に、移住者について考えてみます。

わたし個人的には、移住者はいつまでも「よそもの」だと思います。
何年経ったって、地域の人にはなれないと思っていて、たとえ「あなたもすっかりここの人になったね!馴染んだね!」と言われたとしても。
そこに良いも悪いもなくて、ただそういう事実である、というだけのこと。

だからわたしの感覚としては、いつまでも「自分はここの人じゃない」という感覚が抜けることはなかったし、逆にその意識が自分を律してくれていたところがあったと思っています。
地域に対して傲慢になることも、「ここのためにやってやろう」みたいな気持ちが出てくることも無かったです。

よそもの感覚がいつまでも抜けないのはいいのかどうかはわからないけれど、
でもその感覚を持っているからこそ、見える世界ってたくさんありました。
そして行動できることもたくさんありました。
だからわたし個人としては、「結果オーライだったかな?」と思っています。



今回はいろいろ話が飛んだ気がするけれど(いつも?笑)、
移住するって、実は結構厳しい面も多くて、
今回の「自分が常にさらされた状態でいる」というのも時と場合によっては大変に感じることもあります。
でも、それが同時に魅力であり、おもしろいところですよね。

個人的には自分の子どもが地方に行きたいと言ったら全力で応援したい!
そのくらい、とても貴重な経験だなあと感じています。

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