パワハラをしていた僕の、本当の気持ち
パワハラをしていたことがある。ほんの数年前のことだ。
かつて僕はあるプロジェクトのリーダーをしていた。当時所属していた会社の新規プロジェクトで、僕はかなりの気合が入っていた。
部署にはTさんという部下がいた。 Tさんは売上をあげる仕事を担当していた。以前から面識があり、Tさんが体育会系だったことを知っていた。きっと、ハードな仕事でも一緒にうまくやっていけるだろうと思っていた。だが、いい関係は長くは続かなかった。
パワハラのはじまり
半年かけてプロジェクトの立ち上げ自体は成功。これから拡大していこうという時期に突入した頃、Tさんはおかしくなっていた。常にオドオドしていて、僕に話しかけることすら難しいようだった。
それからほんの数ヶ月のうちにプロジェクトの売上が思うように上がらなくなってきた。僕は立場上の焦りを隠せなくなり、Tさんに対し、「なんでできないの? お前はバカなのか?」等と言葉にするようになった。
同僚から「言い過ぎじゃない? ちょっと気をつけなよ」という忠告を受けたが、言わないと伝わらないことだ。何より僕は、Tさんのためを思って言っている。
「頭使ってる? 全然ダメ! やり直し」
会社のフロア全体に響き渡るような大声で怒鳴ったこともある。この行為はどんどんエスカレートしていった。数日に一回だった罵声はいつの間にか、毎日になり、Tさんの精神は崩れるように壊れていった。
パワハラ行為を知る
そのころ僕は今の妻となる人と付き合っており、会社でのTさんとの出来事を話していた。ふいに夕飯を食べていると、彼女からこんなことを言われた。
「それパワハラだよ。やっちゃいけないことだよ」
僕は彼女が何を言っているのかわからなかった。また、パワハラという言葉自体もこのとき初めて耳にした。
「パワハラって何?」
「Tさんの人格否定してるよね? バカとか。過度の叱責も人格否定も全部『パワーハラスメント』。絶対やったらいけないことなんだよ」
初めての指摘に、僕はかなり動揺した。僕はTさんが成長するために言っていた。Tさんにとって未経験の仕事だし、これから成長したいとTさん自身が言っていたからだ。
その日の夜、自分の吐いた言葉を一つひとつ振り返ってみた。
自分の立場を利用してTさんの人間性を否定していないか? みんなの前で大きな声を出していないか?
自身の行為がパワハラであり、どれだけTさんを傷つけたか、気づくまでにそう時間はかからなかった。
被害者に謝罪をする
数日後、僕はTさんに謝罪した。自分がしたことなのに、とても勇気が必要な行為だった。今まで散々最低な罵声を浴びせてきたのは自分なのに、Tさんの反応が怖かった。
僕の不安をよそに、Tさんは「いえいえ、大丈夫です」とにっこりと笑ってくれた。だが、しばらくしてチームから離脱。別分野で輝くような成果を出していた。どんなにか嫌な思いをしたことだろう。今でも悔やんでも悔やみきれない。
これをきっけかに、僕はパワハラについて理解を深めていくように努めた。普段の言葉でも、事象について言っていることなのか、人格否定なのかをひとつずつ考え、行動するように心がけた。また、本や、他者の体験談などもよく読むようにした。
パワハラをしているときは、自分自身が被害者だと思っていた。うまくできないTさんのために大声を出さなければいけない。何度も叱責する必要がある。これば、私から見れば「Tさんに動かされている」ような感覚だった。
色々と調べていくうちに、どうやらこれがまさにパワハラ・モラハラ・DV加害者によく使われる言い分のようだとわかった。とても恥ずかしかった。
人を傷つけていい言い分になるとは到底思っていないが、自分自身の発達障害の特性も大きく関係していると思う。僕は、他者の気持ちを汲み取るのが苦手だ。また、否定と指示の違いもあまり理解できていなかったと思う。
この日から2年後の2019年5月、改正労働施策総合推進法が成立。パワハラを防止することが企業に対して義務付けられた。
もしもこのnoteを読んで、心当たりがあった方は、自分の吐いている言葉を今一度振り返ってみてほしい。
かつてモラハラをしていた僕と、どこかでまだその地獄から抜け出せてない君へ。