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悲しみが人間の本質を照らし出す

 最近、知り合いのギリシア人が日本に来たので、居酒屋で飲んだ。彼が、どこか海外旅行に行く予定はないのか、と聞くので、「実はロシア文化や文学に興味があって、ロシアに行ってみたい」と伝えた。彼は驚いた顔で「ロシアはあまりお薦めではない。彼らは大酒呑みで暴れ者が多いし、貧困がはびこっているし、何よりロシアは独裁国家だ。」と言い放った。

 彼の反応に別に不快な気はしなかった。西側諸国の人間としては妥当な反応だといえよう。特に今はロシアとウクライナの戦争があって、プーチンを野蛮な独裁者とする報道が多いことが影響していると言える。

 だが、ロシア文化やロシア文学は魅力的であり(実は批判されているロシアの政治も魅力的だが、今回はここには触れない)、最近はドストエフスキーやプーシキン、ソルジェーニツィンなどの作品を片っ端から読みあさっている。ロシア語の勉強もはじめ、家族でバレイ鑑賞に行くなど徹底的にロシア文化のシャワーを浴びている。

 ギリシャ人の友人が言うとおり、ドストエフスキーやソルジェーニツィンの作品では、ロシア人庶民が貧困に喘ぎ、大酒を飲んで家族を破産させたり、犯罪に走ったり、人を騙したり、体を売ったりするなど決して明るくない人生の数々が描き出されている。

 実は、ドストエフスキー自身の人生も、お世辞にも明るいものとは言えない。彼の父は癇癪持ちで妻をしいたげ続け、ドストエフスキーがまだ幼い時に亡くなった。彼が18歳になると父親が自分の所有する領地で百姓たちに惨殺される。父親は地主として百姓たちを虐待したり、器量の良い娘たちを女中奉公に取り上げては次々と手をつけたりしていたので、百姓たちの恨みを買った。また、彼は文学を書きながらも空想的社会主義サークルに入り活動していた。やがて、彼も含め全員逮捕され、シベリヤの監獄生活を強いられることになる。

 どうだろうか。聞いてて耳を塞ぎたくなるような暗く悲しい人生だし、彼の作品にもこれに似た境遇の人たちが数多く出てくる。まさにギリシャ人の友人の言うとおり、誰がこんな国に行きたいと思うだろう?

 だが、暗くて悲しい話だからこそ、私は人間哲学の深淵、人間の内面の本質をえぐり出すことが出来ていると思う。私は、そこにこそ言い知れないロシアの魅力を感じる。

 物質的に満たされている人には見えないものがあると私は思う。それは精神的な重要性や哲学という言葉で表現されるかも知れない。物質的にも経済的にも恵まれた人には、日々の生活に苦労する人たちがどう感じているか、想像できない。一方で、物質的に経済的に苦しい人たちは、現実世界でどう頑張っても苦しいので、物質を超越した精神的な充足に自然と目が向いていく。この物質世界だけが全てではないという価値観を持つようになる。

 現在のロシアは、経済的にも発展して物質的な豊かさも手に入れているが、歴史的に脈々と育まれてきたこのような精神性を重んじる文化は未だに根強く残っていると思う。

 そういう意味では日本は、最近物質的に経済的に没落してきて、ソ連崩壊時の貧困蔓延るロシアのようになろうとしている。だが、アメリカからのプロパガンダで政治について考えない、議論しない、マスコミを盲信するように教育されているので、日本人は気付かずに没落している。

おめでたいというべきか、悲しみを奥歯でグッと堪えて生きる大和民族の性質というべきか。だが、もしかしたら日本人も黙ってはいられないほど苦しい未来が到来するかもしれない。そんな時、私たちはどう生きるか?物質的に経済的に成功することが全てではない価値観を持たないと生き抜いていけない可能性もある。もちろん、そんな日が来ないことを祈りながらも、ロシア文化、文学はそんな時代を生きる我々日本人にとっても大きなヒントになると思う。


 



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