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ブラックだから教員辞めたんだよ!
勢いに任せて脈絡もなく書く。
萩生田大臣に伝えたいこと「35人は少人数ではない」「免許更新制は見直しというか廃止すべき」「何でもかんでも詰め込まないで」「教職は魅力あるが、仕事量がキツい」「公立学校のボロボロ施設をどうにかして」「残業代を頼む」「1日でいいから先生として働いて」
— よしお l 26歳中学校教諭💭 (@shigoto_yoshi) February 12, 2021
何リツイートされたら届くかな
文科省大臣に当てた学校教員の労働上の問題点を訴えたこのツイートを読んだ反応として少しツイートをしたのだが、気持ちが収まらないのでここに少し吐き出すことにした。
■ 5年勤めて教員辞めた
詳しいことはいずれどこかにまとめるつもりだが、自分は地方の公立高校に5年間勤め、卒業生を送り出したタイミングで辞めた。今は、フリーランスとして難関大進学希望者向けの塾で物理を教えつつ、執筆や校正など教材作成に関わっている。
■ 辞めてよかった
辞めるときには少し悩んだりもしたが、辞めて3年近くが経過した今となっては本当に辞めてよかったと思う。
ほぼノープランに近い形で辞めたので、転職直後は年収も半減したし、痛風の発作のひどいヤツが出たりして泣きそうだった。フリーランスだからボーナスはないが、妻と子ども3人でなんとか暮らせるくらいには収入は安定してきた。
大事なことなのでもう一度念を押しておく。
教員を辞めて本当に良かった。
あのまま教員続けてたら死んでたと思う。それを思うと今は本当に幸せだ。教員の大変さとは別のフリーランスとしての大変さはもちろんあるが、まあ、そんなものは教員やってたときのしんどさに比べればなんてことはない。(無論そのへんは個人的な性格もあると思うので一般化はできないが)
■ 教員の大変さはおいといて
教員という仕事の大変さは、ここ数年声を上げてきた現場の方や教育学者の方、ジャーナリストの方々のおかげで、だいぶ知られるようになってきた。少なくとも「公立校の教員は公務員だからおいしい仕事」だなんて思ってる人はほとんどいないだろう。(いたら驚きだ。教員以外の公務員だって大変だっていうのに)
なので「どのように大変か」という部分は省略して、初めに挙げたツイートを受けてあふれたドロっとした感情を少しだけ吐き出すことにする。(自分の経験で「大変さ」を語ろうとすると、たぶん筆が進まないだろう。当時の苦しさに向き合わなくてはいけないので)
■35人は少人数ではない
まず、上記ツイートにあった
「35人は少人数ではない」
というのは本当にそうだ。
小中のデータは見ていないので実際の数字はわからないが、まず35人という数字自体が現状の1クラスの人数と比較して決して少なくないと思う。自治体によってはもっと少ない人数を目標としているのを見聞きしたことがあるし。
そのへんは統計を見ないとなんとも言えないが、そんなことよりも、体感として35人は決して少なくない。
例えば教科担任として成績をつけるだけだとしても、35人分の出欠席の数をまとめ、35人分の提出物をチェックし、35セットの答案を採点して、35人の成績を決定したら、35人分の成績を「決してミスのないように」システムに入力する必要がある。もちろん実際はもっと面倒くさい諸々がある。
学級担任はもっと悲惨だ。何かあるたびに35人分の対応する。いちいち挙げていたらきりがないので挙げない。書くのが嫌になるから。
さらに、高校だと理系と文型の人数差などがあるため1クラス40人を超えたり、30人を切ったりもする。クラスを増やして1クラスあたりの人数を減らそうにも教室は余ってないし教員も足りない。ヒトもモノもない。金なんかあるわけもない。
40人超えのクラスも30人未満のクラスも担任を経験したが、どちらも仕事量は多い。20人を切るくらいでないと人数減による仕事量の緩和は感じられないと思う。
1クラスの人数は減らすべきだと思うが、そもそも教員の仕事が多いのだから、現状のまま人数だけ減らしたって焼け石に水だ。
仕事の量だけでなく、授業の面から言っても、あくまで体感だが、30人以上になると「たくさん」だ。一人ひとり様子を見ながら個人対応もしつつ…みたいな「少人数教育」を思い描いているのだとしたら、15人でも多いと思うよ。まあ、このあたりは何かしらの技術の導入によって変えられる面もあるとは思うけれど。
■ 教師は魅力あるが、仕事量がキツい
そして、上記ツイートからもう一度引用。
「教師は魅力あるが、仕事量がキツい」
本当にそうだ。
このツイートを受けて言わずにいられなかったのはこの部分に関してだ。
魅力はあるんだよ。
自分は中学校の頃から教師を目指していた。自分が担任をして送り出した卒業生の中にも教員を目指している者は複数いた。
自分が教員を辞めたのだって、教員という仕事に魅力がないからじゃない。
ブラックだから辞めたんだよ!
教員をやっていて楽しかったことなんていくらでもあるし、物理を教えたかったから教員になったし、だから今も物理を教えている。
もう一度言うぞ。
ブラックだから辞めたんだよ!
■ 採用側の想像力が欠け過ぎている言葉
この期に及んで、教員採用で人が集まらないことへの対策として
「教員の魅力を発信していきたい」
とか言ってる人間よ。
わかってやってるならサイコパスだし、わかってないでやってるんなら思考停止マシーンが過ぎるぞ。
教員がすべきではない仕事を削減して、残業代を出す。
仕事量に見合うだけの人員を確保する。
教員を人間として扱う。
そのために金を出す。
当たり前のことをすれば、教員の成り手なんかすぐに見つかりますよ。
これだけは言いたかった。
もう「魅力発信」系の発言は一切やめましょう。
まず他にすべき当たり前のことをしましょう。お願いします。
■ 最後に
以上は教員を批判したものではありません。今なお過酷な現場の最前線で踏ん張っている方々には尊敬の念しか感じません。また、現状を少しでも改善しようとして活動してきた方々のおかげで今があり、これからの変化があるだろうことは疑いようもありません。
「辞めずに残って現状を変える努力をすべきだ」という指摘も理解できますが、私はその前に死にたくなかったのです。大げさではなく、身体だけでなく精神としての死も含め。
現場から離れた外野の身として偉そうなことを言うつもりはもちろんありませんが、ゼロ想像力の「魅力発信」系発言には、もはや関係のない自分のはらわたさえも煮えくり返すくらいの威力があり、上記ツイートでフラッシュバックし、抑えきれずにここに吐き出した次第です。
それではお腹がすいたのでご飯を食べに行きます。
■ 終わりに
学ぶことや教えることについて書いています。
iPad proの教材作成について書いています。
ブログにはnoteの編集後記など色々ごちゃ混ぜで書いています。
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