読書会という名のしゃべり場

僕の授業や実習を受けて質問に来てくれる、そしてその後やり取りが続く学生さんは、ほぼ100%世間的には変わった子です。

 しかしながら、それゆえ独自の視点を持っています。僕の所属している組織では一学年が240人いることもあり、学生さん同士は一度固まったメンバーになってしまうと、それ以外と関わる機会はあまりないようです。異なる学年ならなおさら。また、独自の視点を持っている学生さんたちは、周囲と隔絶された自身の頭の中で考えることが好きな内省的な子たちです。内省的な人はあまり社交的でないため(失礼!)、自身の考えていることを周囲にわざわざさらけ出す機会もほとんどありません。それゆえ、お互いに考え方が近くてもそれを知る由はありません。また、往々にして変人扱いされたり、場合によってはそれによっていじめられることを既に経験しているので、わざわざ同じ轍を踏むようなことはしません(もちろん中にはそれを全く気にしない強靭なメンタルの持ち主もいますが…)。

 世の中は、「目的」や「効率」が幅を利かせ、大学生であってもカリキュラムに忙殺されています。それゆえ自由に考える時間は減っていく一方です。一般に理系大学生は4年時の研究が始まると、考えることを求められるようになります。しかしながら、研究費獲得のために成果を求められ、自分で考えることを任せようと敢えて手を出さないことが「放置プレイ」と言われる現在では、学生さんに失敗してもいいから自由に考えてやってみな、と言える懐の大きい先生はそんなに多くはないでしょう。そうなると、先生は必然的に自分の描いたシナリオの一部を学生に要求する。そうすることによって、研究を遂行しようとします。学生は先生の考えることに依存し、自分で考えることを放棄してしまいます。そこで学ぶことは、「先生の言うことは正解」だったり、「先生が正解を持っている」という上意下達の意識です。これでは自立は到底無理です。
 話がそれましたが、つまり、一部の大学を除いて、大学はもはや時間を忘れて自由に考え議論する時間を認めてくれる場所ではなく、先生のもつ正解を追い求める学生の養成所となり果てつつあります。これはコロナ禍によってオンライン授業が始まった今、拍車がかかっているのではないでしょうか。
 
  こういった状況であるからこそ、自由に考え議論する時間を持つことは、自分自身の意見を言ってもいいんだと考える機会となります。さらに、他者の意見によって、自分の脳内にある受容体に刺激が入る。これによって、自分の考えている前提を知り、他者に対しての自分の考えを相対化することもできるかもしれません。これは僕自身が大学時代に得た最も重要な見解の一つです。

 
 そこで、まず試行的に、僕が関わりのあるそのような学生さんたちに声をかけて、議論する場をオンラインで設けてみました。本を読む人が多いので、「読書会」として開催してみましたが、ほとんど本の紹介はなく。というか、なくても話すことがたくさんあることが非常に面白い。僕が学生さんへ行った問いかけは僕自身も答えを持っていないものでしたが、その方が意見を対等に言えてよいことが分かりました。この取り組み、みんなでぐるぐる、あーでもない、こーでもないと話をする場として、大学として非公式ですが定期的に続けていきたいなと思います。
 
先日印象的だった視点が、下記になります。備忘録的にまとめておきます。
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Yuuta:オンライン授業になってどうよ?
学生:とにかく課題がめちゃくちゃ増えた。それによって考えることを放棄して、課題をこなすために「作業する」時間が増えた。勉強させたいのは分かるが、勉強って四角に適切な語句を当てはめるということではないのではないか?これでは勉強しない(したくない)学生に合わせ、やりたい人のやる気を削ぐorやりたい人が自由にできない、という出る杭を打つという義務教育に近くなっているのではないか(途中、若干補足)。
→ 一方で、僕が普段からこの人の価値観はすごくいいなとあこがれている先生は、課題を出して勉強させることに意味を見出せないということを学生にも正直に伝えた上で課題がないとのこと。大学で学ぶということの意味を今一度考える良い機会なのかもしれない。
  
Yuuta:生命科学など進歩が速い学問を学ぶ場合、知っておくべき基礎知識が増えるから授業が暗記中心になりがちだと思うけど、その中で疑問に感じたりすることってよくある?
学生1:授業で習ったりすることの中で疑問に思うことがあれば、それを自分で調べていく過程が面白い。それは生命科学に限らず別の分野につながっていくこともしばしば。思っていたよりも、世の中は複雑に絡まりあっている(途中、若干補足)
学生2:まず知っておくべき知識が膨大になればなるほど、それをきちんと消化することが前提になると思わされると、知識を消化することが目的となってしまい、そこに疑問を持たなくなる。そのため、研究者になりたいっていう人って少なくなるんじゃないかと思う。
   
Yuuta:効率化が求められる世の中、どう思う? 
学生:大学の先生ってそこに抗えるような立場であったりするのではないか? そういう立場の人からじゃないと学問って学べないのかもしれない。
→前半部分は悲しいかな現代は意外とそうでもないのですが、この視点を学生さんが持つことができるのは素晴らしいですね。
学生:効率って言葉の定義何とかなりませんかね。。。
  
Yuuta:ヒトが言語を獲得した後、抽象的な言葉が生まれた時、別々の人でどうやってその定義をすり合わせたんだろうか?
学生:そういった状況では、みんなで話し合って決めたというよりも、指導者のような人がいて、その人が中心になって、言葉の意味を共有していったのではないか?そうすることで、抽象的な言葉の意味をすり合わせることができるんじゃないかと思う。
学生:価値って言葉が共有される過程とかって面白そうですよね。それぞれの人には別々のものが大事なのに、言葉としては「価値」という言葉に収束するとうのは、すごく面白い。その過程ってどうだったんだろうか。
→この2つの意見、僕はそういう考え方をしたことがなかったので、なるほど!×100でした。

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