フォトグラファーだからこそ大切にしたい「言葉」の力


写真が好きなので写真展には空いた時間にふらっと足を運んだり、本屋で写真集を眺めたりします。


最近は写真と同じくらい、1枚、1枚の写真に写真説明がついているかが僕は気になります。なぜなら、説明のない写真、不十分な写真が好きになれなくなってきたからです。


そもそも良い写真とは何か?と考えた時、個人的には「写真説明がなくても伝わるインパクトの強い写真」が答えの一つだと思っています。
それは昔から変わりません。
なのに、「説明はないけど雰囲気が良い写真」、「写真だけで訴えたいことをくみ取ってくれという写真」に感情移入できなくなりました。
それが報道写真であっても、芸術写真であっても。
ジャンルを問わず意図やその写真を撮った背景の説明はとても大事感じるようになりました。


特に東日本大震災の被災地を取材するこの約10年でその傾向がどんどん強くなっています。


簡単な例を挙げます。
この時期、日本中で田んぼが実りの季節を迎え美しい田園風景が広がります。黄金色に染まる田んぼのなかで収穫作業中にタオルで顔をぬぐう農家。背景には今も雑草が生え放題の農地が一部映り込んでいる。

という写真を撮ったとします。

画像1

※この写真は本文と直接関係ありません。2020年8月 楢葉町で撮影


説明がなければ、
「昔から続く日本の典型的な田舎の風景きれいな風景」
「ようやく訪れた収穫の時。喜びの苦労」だとかを感じますよね。

写真説明に「福島県富岡町 2020」と一言でもあれば、「震災から復興した田んぼかな。ようやく震災後初の収穫に精を出しているんだな」なんて想像も働きます。


でも同じ写真に下記のような説明がついていたらどうでしょうか。

避難指示解除から3年。原発事故後初めて作付けにこぎ着けた田んぼが収穫の時期を迎え、○○さんは汗と同時に涙をぬぐった。「うれしいのに。なんか目が潤むんだ」。ただ、震災を機に耕作を諦めた農家も多く周囲には雑草が生い茂る田んぼもすくなくない。

写真の持つ意味ががらりと変わって、また写真を見たくなると思うんです。
言葉と共に味わいたくなるというか。


「物を食べるときその食材だけでなく、食材にまつわる言葉も一緒に味わう」。牛肉の産地偽装が世間を騒がせた際に出会った言葉です。妙に納得し心に残っています。同じ米でも肉でも果物でも、何も知らずに食べるより、「無農薬」「有機栽培」「被災した農地で丹精込めて作った○○」というその食材の背景、ストーリーが分かると、よりいっそうおいしく感じますよね。

写真も同じだと思います。

だから僕は写真だけでなく、そのストーリーを表す写真説明=言葉も大事にしたいと思っています。こだわりたいです。特に自分の責任だけで発信する際には。
なので、取材時には写真を撮るだけでなく、時にはそれ以上にちゃんと被写体と話すことを大事にしています。

できればコピーライターのような平易な言葉で核心を突くような、説明を添えたいという願望があります笑。それが写真にとっても最低限の礼儀のように感じています。


もちろん良い写真あってこその言葉だし、フォトグラファーにとってやはり写真が第一。写真は心に響かないのに言葉だけこだわってるっていうのは上滑り感がはんぱなくカッコ悪いですしね。


良い写真を撮らないと何にも始まりません。