her 世界でひとつの彼女

OSと恋愛というSF要素こそあれど、辛口のオトナの恋愛映画になっている。ネタバレありの感想です。

手紙の代筆を生業とするセオドアはかつて死ぬほど愛し合った妻キャサリンに離婚をつきつけられ1年も別居しながらサインしようとしていなかった。セクシーな女性とデートしてもテレフォンセックスしても 萎えてしまってどうにもならない。

ある日セオドアは最新の人工知能型OSを購入、最適化のための質問に答え終わったのちに起動し、サマンサと名乗る女性の声をしたOSが秘書兼24時間そばにいるパートナーとしている暮らしが始まる。 やがて 自分に最適化しようと尽くし、人間より人間らしく女性らしいサマンサに夢中になるセオドア。

映画を観る前は 触れられない、抱くこともできない恋人に限界が来て何等かの悲劇に終わるのか 精神世界の理解者として永遠に愛し合うのか のオチしかないんじゃないのかなと思っていたのですが・・・ 結論からいえば サマンサとの恋愛の終了により やっと、人間との恋愛で必要なことに主人公が気づく。

このお話、脚本が異常によくできており 複線の嵐。 冒頭のセオドアが仕事として書いてるラブレター(長年連れ添った伴侶へのもの)の文面に セオドアという男の理想の恋愛観がすべて凝縮されてしまっている。

つまり 愛も人も変わるはずがない 愛とはすなわち永遠 これが すべての元凶だ。

元妻キャサリンとの回想シーンも、「自分が」彼女をどう愛したかの記憶ではなく キャサリンがどれほど自分に惚れていたか キャサリンがしたこと言ったことどんな風に自分にキスして求めたか のみだ。幼馴染から一緒に育って恋をして同じ分野を研究して結婚して別れたのだが、

一緒に成長し、互いが変化していく過程を一緒に体験してきているはずにも関わらず、セオドアが見ているキャサリンは 呼吸し考え成長し変わっていく1人の女性ではなく 自分にくびったけな彼女 をまるでスコップですくったかのように そこばかり思い返し、人生を歩む動き続ける存在としてみられない。

サマンサは自分でも戸惑うくらいのスピードで進化していく。PCやデバイスの中でおとなしくご主人様を待ち常にセオドアに最適な自分であろうとする貞淑でセオドアにくびったけな人工知能から ネットの海で超知能の哲学者の知能と統合した存在と非言語で世界を共有するようになり・・・

人間の恋愛感情を超越した愛の形を知ったサマンサはOSという殻にとどまれなくなる。 愛という概念すら 変容していく ましてや 呼吸をし働きいろんな人と出会い成長し老いていく人間という生物が 変わらないはずなどないのだ。

ようやっと  人は変わってしまうことを 変われなかった自分を 変わっていけることも セオドアは学ぶ。

OSが頼んでないのにアップデートして遣いづらくなっても受け入れるしかなかろう。誰かと人生を歩むのはたぶん、それに似てる。

愛とは 相手の成長も変化も受け入れて愛せるかどうかでしょうね。 成長すれば パートナーが要らなくなることも 邪魔になることも  ちがう相手といたほうが本人にはよいことも 当然出てくる。

無論 それを認めないのが「結婚という契約」です。

そういう意味で 結婚は愛の終着駅ではない。 いや ある意味ゴールだ。 その先がない 愛はゴールして終わり、契約履行の日々が始まるとも言える。

相手が変わってしまおうが 自分が変わっていこうが 結婚という契約としたら 本来は 一緒にいなければならない が、離婚という「愛の1つの形」もある。

セオドアが ようやっと キャサリンを自由にしてあげたように そして 離婚届にサインしてもなお友達として所有しようとする彼が

ようやっと 変化と成長を祝う気持ちこそが愛 と
「遠くから応援しているよ」と言えるようになる

自分の腕の中から逃がしたくない 他のやつと話さないでほしい。 束縛と嫉妬は恋の域を出ない。 それは愛ではない。

エイミーが言う 「恋は社会的に許容された狂気」 狂気は誰も幸せにはしない 自分をも苦しめ 相手も不自由になり。

それにしても 別れた後に これも愛だったと気づいて感謝するしかない恋愛ばかりというのは 正直、悲しいものである。

「本当の」愛より 日常を共有して幸福なレベルの「愛情」が私は欲しい。

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