人間に平等に与えられたのは時間だとか言うけれど
表題の言葉、よく目にする。非常によく目にする。向上心あるタイプの人が手にするビジネス書の常套句と言ってもいい。
限られた時間の中で自分がどんな時間を過ごすかを考え行動することはそら大事だわな、と思いつつ、平等に与えられているはずの時間の長さは人それぞれ違うから、それは平等とは言えないんじゃないかという疑問も抱かずにはいられない。
最近観た映画から個人的に思ったことは、時間と人間を結びつけるなら、”人間に平等に与えられているのは「時間」”ではなくて、”人間同士の数少ない共通点の一つが「時間が流れている」ことなんじゃないか”、ということ。
最近観た映画は「C'MON C'MON」という映画。
毎度のことながら、映画の感想はネタバレしてるので、気を付けてね。
ラジオジャーナリストであるジェシーは、アメリカに住む子供たちに”どんな未来になっていると思う?”といった「未来予想図」を聴くインタビュアーとして働いている。そこで出会う子供たちの境遇は様々。災害に見舞われた地域に住む子供、家族が刑務所に入ったことで自分がこの家を守らなくてはいけないと強い責任感を持っている子供等々・・・。そうした様々な境遇の中で生きる自分の在り方を雄弁に語る子供が居れば、自分の信念を尊重し多くを語らない子供も居た。インタビューのシーンはドキュメンタリーのようでフィクションには思えなかった(実際どうなのかわからない)。ジェシーはそんな仕事の傍ら、ナーバスな性格の夫をケアする妹のために、一時的に甥っ子を預かることになる。
子供を相手にする仕事をしている割には子供の扱いになれていないジェシーと、素直になりきれないジョニーが少しずつ心を通わせていく姿は本当に涙なしには観れないハートフルでとても素敵な映画だった。日頃子供と向き合っている職業の人や、子育てをしている人に特に刺さる映画かもしれないけど、個人的には人と関わっている人(=全人類)に刺さるはずの映画だと思う。
どうしても、大人とか子供とかで人を括りたくなってしまうけれど、その瞬間までに生きてきた年数が違うだけの同じ人間だったんだなと思えたから。
タイトルの「C'MON C'MON」は劇中の甥のジョニーが言うセリフから来ている。
うろ覚えだけど「生きていると予想もしないことが起こる。それでも次へ進むしかない。次へ(C'MON)、次へ(C'MON)、次へ(C'MON)、次へ(C'MON)・・・」。
家族のことなど自分の身に起こった出来事と、それに対する自分の得体のしれない感情や反応に戸惑いながらも、次に進んでいくしかないと9歳の男の子が思っている。それはジョニーだけでなく、ジェシーが日頃インタビューをする一人一人の子供たちも同じだった。幼いながらに経験したことや自分の置かれている状況からこれからのことを考えていたからこそ、全員が自分の意志や言葉でジェシーのインタビューに答えたり、語らない選択をしていた。ありのままに意志を発信する彼・彼女らはとても逞しくて、私は対面できる自信はまるで生まれなかった。
また、劇中では「なんで独身なの?」「お母さん(ジェシーの妹)とは仲いいの?」といったジョニーの素直な問いかけを前にして、ジェシーは最愛の女性と離れ離れになってしまったことや、妹のヴィヴとの関係がいまいちだったことを訥々と告白していく。
大人だと思っている自分たちは、本音を隠しながら建前で答えることが段々と上手くなっていく。正直自分の本当の気持ちを知ること自体が時には怖いし、自分が傷つかずに済むならそりゃ建前を使う方がいい。それでも、素直な問いかけをしてくる子供たちの前では建前が通用せず、つい心をこじ開けられてしまう。作中ではその結果、大人と子供の境界線が初めてなくなって人と人同士の信頼関係が生まれていっていた。
この作品は実際に監督が監督の息子と向き合ってきたたくさんの経験の中から着想を得たものらしい。
私は日頃子供と関わる生活を送ってはいないけど、幅広い年齢層の人と接する職場の中で、年齢層で人の考え方を一括りにしてしまうような器の小さい人間なので映画を観てハッとさせられる瞬間がたくさんあった。
ビジネス書で扱われる「時間」は有限かどうか、価値を生むかどうかという生産性の観点に当然フォーカスされるし、それを目にする頻度が多かったことで感覚が薄れてしまっていた。
共通して「時間が流れている」からこそ、人それぞれの人生がある。どんな人間関係にも関わらず、自分と相手がこれまで生きてきた時間と、その上で今なにを考えているか、そしてこれからどうしたいかということを尊重し合う人間関係を大切にしていきたいと改めて思った。
この映画の感想は
「ホアキン・フェニックス全然エロい役じゃないのに、めちゃくちゃ渋くてエロかった」