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パニック障害とともに〜すぐそこにある恐怖〜

#今日の短歌  「酔う事も恐怖となりて久しかりひとり素面(しらふ)の宴の幾たび」 永麗

パニック障害を発症して10年になる。バセドウ病を発症したのが40歳の時。仕事のストレスで汗と空腹と喉の乾きが異常になり、目つきも鋭くなり、眼球も突出。

入院・手術による甲状腺全摘と、1ヶ月の療養を経て完全復帰…のつもりだった。が、そこからのトンネルがこんなにも長いとは…。

当時の私はとにかく、学ぶために移動は厭わず、日本のみならず、美しいもの尊いものを求め、西へ東へ一人で飛び回っていた。

しかし、術後、すぐに元の生活に戻ろうとするも、新幹線の中で血の気が引く。華道教室の最中に血の気が引き座り込む。ホテルのレストランでビールを飲んだら動悸で起き上がれなくなる。といったことが頻発する。

精神科を受診するもパニック障害と診断される訳でもなく、「薬など飲まない方が良い」と追い返される。結局、父がかつて患い救急搬送された事もあり、多分アレだろうと自己診断したのがパニック障害だった。

その後、私に羽生結弦ブームが訪れ、全国、時には海外にまで遠征して追っかけるという情熱に駆られると、一旦症状は終息する。

しかし、笛の師匠を追っかけ始め、師匠との関係に秋風が吹き始めると途端に再発。

コンサートのため東京まで行く新幹線の駅に向かう特急電車で息苦しくなり途中下車。今思えば新幹線の車内でなくて本当に良かった。10分は耐えられたが2時間止まらない新幹線で…と思うと今でも背筋が凍る。

どうやら私のパニックは再発してからの方が重症である。

一度は治ったと思って乗り込んだ近鉄特急で「この電車は津まで停まりません」というアナウンスを聞いた途端に「やばい」気分になって、扉が閉まってからの45分間生きた心地がしなかった。

いざという時のための安定剤は常に持ち歩いていたので、すぐに飲むのだが、飲んでから30分は効かないため、それまでが地獄だ。

シンガポールに行ったときは、飛行機搭乗1時間前には薬を飲んでおいて、飛行機の中ではほとんど寝ていたのであるが、現地でうっかり東洋一大きい観覧車というやつに乗ってしまった時、ばかでかい観覧車だから大丈夫だと思っていたが、やはり扉が閉まる瞬間に「やばい」気分になり、すぐさま薬を飲むも間に合わず、ずっと友人のお尻に抱きついて30分間の恐怖の空中散歩をやり過ごした。

それからは、予期不安をさらにこじらせ、時々急行や特急電車に乗って名古屋に行っていた私が、一切一人で電車に乗れなくなった。コロナも手伝って、今や2年以上電車に乗っていない。

この恐怖は味わった人にしかわからないものなのだ。

うららかな春の野をゆく列車かな我一人分の恐怖を乗せて 永麗

これは近鉄特急で怖い思いをした時の歌である。

多分あの列車でいたたまれない恐怖に慄いて青ざめていたのは私だけだったはずである。私一人の果てしない恐怖も私の脳内の誤認識に過ぎない。列車自体はうららかな春の野をゴトゴトと平和に運行しているだけなのだ。それの一体何が怖いのだろう。

あとで振り返ればそういう事なのだ。

さて、冒頭の歌に関して、東京のホテルでひっくり返ってもまだ懲りずに、自宅で夜中に一人で飲んで救急車を呼んだこともある。

それ以来、アルコールは一切口にしていない。割り勘負け上等なのである。安心安全の自宅ですら恐怖の場所になってしまう。パニック障害とはそうした心の病なのだ。

しかし、その恐怖すら五七五の額にはめて眺める事、それが歌詠みの習性であり醍醐味でもある。

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